毎日一話

宇宙は僕の為にまわっている - そしてあなたはそれを手伝っている - 宇宙はあなたの為にもまわっている - そして僕はそれを手伝っている     Go with the flow.......

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プロフィール

川田 倫久

Author:川田 倫久
オーストラリアに永住し、ずっと観光業をしていたが、中年のオッサンになってから、IT関係に転職。





感謝する心

9月30日のお話 「感謝する心」

今日の社会においては、われわれはどんなに力んでみたところで、ただ一人では生きてゆけない。やはり親兄弟はじめ多くの人びと、また人ばかりでなく、周囲に存する物や環境、さらには自分たちの祖先や神仏、自然の恵みのもとに暮らしている。そういうものに対して、素直に感謝する心を持つということは、人としていわば当然のことであり、決して忘れてはならない態度だと思う。

もしそういう感謝の心を持たないということになるならば、お互いの生活はきわめて味気ない殺伐としたものになるであろう。常に感謝の心を持って接してこそ、他人の立場も尊重して行動するということも可能になってくる。

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昨日も書いたけど、中年になってから今まで興味のあったIT関係に転職できた事、きっかけを作ってくれた妻に感謝です。
興味はなかったけど入って見て政府の仕事は意外とおもしろいと気づいた事、これも妻がきっかけを作ってくれたので感謝です。
勉強が嫌いで高校は適当に卒業して、大学は中退だったけど、今になって勉強しなおすきっかけを作ってくれたのは、やっぱり妻だったのでこれも感謝です。

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商品はわが娘

9月29日のお話 「商品はわが娘」

私どもが日々扱っている商品は、言うなれば永く手塩にかけたわが娘のようなものだと思います。ですから商品をお買いあげいただくことは、自分の娘を嫁にやることであり、お得意先はかわいい娘の嫁ぎ先だとも言えましょう。

そう考えると、その商品が十分お役に立っているかどうか心配になって、ちょっと様子を見てみようという気が起きてくるのではないでしょうか。そういう思いで日々仕事に取り組んでいるならば、お得意先との間に単なる商売を越えた、より深い信頼開係、力強い結びつきが生まれてくると思います。お互い商品を自分の娘というほどに考えているかどうか、改めて考え直してみたいものです。

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今は、オーストラリア政府のソウフトウェア開発にちょっと携わっていますが、労働省関係の人しかソフトを使わないからか、締め切りに追われていてあせっているからかわかりませんが、ちゃんとテストもせずに世の中に出してしまうので、結構欠陥があったりします。

これがもし普通の企業だったら、いろんな問題が出てくるんじゃないかなぁと思いますが、公務員だから利益に関係ないのでのんびりしているのか、民間でもこんな程度なのかわかりませんが、大丈夫かな?と思う時が時々あります。

まぁ、40歳を超えてから IT関係に転職した僕にとっては、のんびりしてちょうどいいかなぁなんて思ってもいますが。

組織や地位にとらわれない

9月28日のお話 「組織や地位にとらわれない」

今日、企業界、名企業の間における競争というものは、非常に激烈なものがある。この激しい競争において、瞬間を争う大事な事柄を報告するいわば非常の場合に、何としてもまず直接の上司に言わねばならないんだとか、やはり組織を通じて処理しなければ叱られるんだとか言っていたのでは、競争に負けてしまうようなこともあろう。事の順序としては、もちろん直接の上司の人にまず言うべきではあるけれども、どうしても急を要する場合は、組織や他位にとらわれず、即刻処理してゆくことが大切だと思う。

何か事あるときには、企員が打てば響くような素早さで活動しなければいけない。

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よく日本人ビジネスマンは上の指示がないと動けないといわれているみたいだけど、今は、結構変わってきたかな? 個人プレーもできる人が世界で活躍しているんじゃないかなと思います。


二代目は熱意で勝負

9月27日のお話 「二代目は熱意で勝負」

先代が築いた基盤を受け継ぎ、若い二代目の人が社長に就任する場合、それなりのむずかしさが当然あると思います。

そこで、一つの行き方としては、まず、会社の古くからいる先輩の人に「私はこう思っているのだがどうでしょう」と、うるさいほど熱心に相談をもちかけていくことだと思います。そうしていけば、その熱心さが必ず相手に伝わり、信頼感を生むと思います。また、そういう熱意にあふれた姿に対しては、社員が頼もしさを感じて自然と助けてくれるようになります。ですから、そのような腹の底からの熱意を持ちうるかどうか、それが二代目社長としての勝負の一つの分かれ目である、という気がします。

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二代目を自分の会社で修行させるか、他所で修行させるかなやむだろうなぁと思います。
僕だったら、どうするかなぁ、会社を継がせるかどうかはわからないから、自分の働きたい会社に面接にいってこいっていうかな? うちで働きたかったら、まず履歴書送ってちょうだいっていうだろうなぁ。

真剣に取り組む

9月26日のお話 「真剣に取り組む」

大相撲は相変わらずの人気である。私はその勝負が一瞬の間に決まるというところが好きである。力士の人たちは、その一瞬の勝負のために、毎日朝早くから夜おそくまで文字通り血のにじむような鍛練をし、稽古にはげんでいる。そしてその成果を土俵の上で一瞬の間に出し尽そうというわけだ。

われわれも、いま自分の担当している仕事を本業として、これに打ち込んでいるだろうか。大相撲の人気というものの裏には、日夜稽古にはげむ力士の姿があることを思って、われわれもまた、自分の人生、自分の本業というものに対して日々真剣に取り組んでゆきたいものである。

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毎日真剣にというのは結構大変ですね。
ちょっと油断すると、すぐ手を抜いてしまいます。

信賞必罰

9月25日のお話 「信賞必罰」

“信賞必罰”すなわち、罰すべき罪過ある者は必ず罰し、賞すべき功ある者は必ず賞せよということ、これは人間が存在するかぎり、程度の差はあっても絶対に必要なことであろう。これが行なわれない国家社会は、次第に人心が倦み、やがては必ず崩壊してしまうだろう。国家だけではない。会社、集団、家庭どこにおいても、これは決してないがしろにされてはいけないことだと思う。

ただ、ここで大事なことは、信賞必罰といっても、常に適時適切でなければならないということである。これは微妙にして非常にむつかしいことで、これが当を得なかったならば、かえって事を誤ってしまうことになる。

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これは賛成です。

極端な話、殺人を犯した場合は、死刑にしてもいいんじゃないかなぁと思います。
いろいろ意見はあるとは思うけど、昔の、「市中引き回しの上打ち首獄門」 ぐらいしないと、今の世の中の間違った考えが直らないと思うなぁ。
もちろん、このお話のなかにあるように適時適切でないとだめなんだけど。

人に尋ねる

9月24日のお話 「人に尋ねる」

自分の才能に向くような仕事を自分で考えて進んでいくことが非常に大事だと思う。ところが、自分の才能というものは、自分ではなかなかわからない。そのときには自分の信頼する人の言葉を聞くとよい。しかし素直な気持で聞かないと、先輩の正しい言葉が正しく自分の耳に入らない。

私も、自分でわからないことは、素直な心持になって先輩に尋ねることにしている。そして静かに考えていけば、必ず行く道は自然に決まってきて、希望が持てると思う。しかし、野心とか欲望とかいうものを強く持つと、そこに無理が生じ迷いが起こってくるような気がするのである。

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なんか先週にも同じようなお話がありましたね。
同じ事かきますが、才能はなくても、好きなことを(まぁ嫌いなことでも)ずーっとやれる機会があれば、そこそこの才能はでてくるんじゃないかなぁと思います。

でも、好きなことをずーっとやり続けるには、野心や欲望も必要だとおもうけどなぁ。

永遠に消えないもの

9月23日のお話 「永遠に消えないもの」

高野山にはたくさんの墓があります。その中で一段と目立つ立派な墓は、おおむね大名の墓だそうですか、その大名の墓も、今日では無縁仏になっているものもあるということです。昔は相当の一家眷族を養い、しかも明治になってさらに華族として、財産も保護されるという状態が長く続いたにもかかわらず、そういう変化があったということを考えてみますと、人間のはかなさというものを身にしみて感じます。

やはり世の中というものは形ではない。いくら地位があり財産があっても、それはいつまでも続くものではない。結局、永遠に消えないものはその人の心であり、思想であり、この世で果たした業績である、そう思うのです。

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僕は死んだらお墓はいらないですね。誰かの心に思い出が残っていてくれればそれでいいかな。

両親にも、二人が死んだ時はお墓たてないよ、なんて話しています。
まぁ、僕は海外にいるので、お墓たててもお墓参りできないと言う事もありますが、もともとお墓には賛成ではないので。

お墓たてるよりは、家で位牌にお参りするとか、小さな仏壇でも買ってお参りするとかで十分のような気がします。無縁仏になるよりはよっぽどいいと思うけどなぁ。

平和のための前提条件

9月22日のお話 「平和のための前提条件」

平和が大切だということは、何千年も前から繰り返し唱えられているにもかかわらず、その一方では戦争をしている。はなはだしきは、平和のための闘争とか戦争といったことが口にされ、行なわれているというのが、過去、現在における人間の姿だと言えましょう。

それでは、そのような状態を脱却し、平和を実現する前提として、何が必要かというと、人間としての意識革命ではないかと思います。つまり、真の平和というものをはっきり見きわめ、心からそれを切望するというような一人ひとりの意識革命が、一国の政治の上にも教育の上にも醸成されていくならば、求めずして平和は生まれてくると思います。

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戦争をしている国々でも、普段に殺人をした場合は法律で咎められるのに、戦争中の人殺しはなんでOKなんでしょうかねぇ。

実際に殺しあわないで、サバイバルゲームで決着をつけるとかすればいいかな、と思いますがまぁ無理だろうなぁ。。。

中小企業は社会の基盤

9月21日のお話 「中小企業は社会の基盤」

私は中小企業というものは、日本経済の基盤であり、根幹であると思う。それが健在であってこそ、大企業も持ち味を生かすことができるし、経済全体の繁栄も可能になる。とともに、中小企業は単に経済においてだけでなく、いわば社会生活の基盤にもなるべきものだと思う。つまり、いろいろな適性を持った人が、それぞれに色とりどりの花を咲かす、そういった社会の姿がより望ましいのであり、そこに人間生活の喜びというものもあるのではないだろうか。

その意味において、たくさんの中小企業が、それぞれにところを得て、さかんな活動をしているというような社会の姿が一番理想的なのではないかと思う。

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これってピラミッド型組織の考えがはいっているのかな?
ちょっとわかりませんが。。。

立ち話の会議

9月20日のお話 「立ち話の会議」

社長が実際の仕事についてあまり知らず、会議で「どうだ君、やれると思うのだがどうだ」というようなことを言っていると、甲論乙駁、議論百出となって、三日ぐらいもかかることになりかねません。それはいささか極端ですが、会議というものは概してそのような傾向が強いのではないでしょうか。それでは何かにつけてテンポの速い今日の世の中では、結論が出たときにはもう状況が変わっているということにもなりかねません。

ですから会議だからといって、会議室に集まり椅子に座ってするというのではなく、言うなれば立ち話で会議をして即決するというくらいの心構えが必要だと思います。

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日本だったかオーストラリアだったかどこか覚えてないのですが、ある会社の会議室には椅子がないそうです。座っているとくつろいでしまうので、立ったまま会議すると聞いたことがあります。

僕の義兄は仕事で日本へ行ってた事があるのですが、帰ってきたときに、「日本で会議したんだけど、向こうの何人かは寝てたよ!日本人は会議でも寝るの?」とちょっとビックリしたような感じで話していました。

「寝てるように見えても、実はしっかり話し聞いてるんだよ。もしかしたら、話つまんなかったんじゃないの?」なんて、冗談半分で話したのですが、そういう人には、立ったままの会議はいいかもしれないですね。まさか、立ったまま寝る人もいないでしょう。

でも、電車の中だと立ったまま寝てる人いるなぁ。。。


仕事を味わう

9月19日のお話 「仕事を味わう」 より

私はどんな仕事であれ、ほんとうにそれが自分に適したものかどうかを見きわめるのは、それほど容易なことではない、仕事というものは、もっともっと深いというか、味わいのあるものだと思います。最初はつまらないと思えた仕事でも、何年間かこれに取り組んでいるうちにだんだんと興味が湧いてくる。そしていままで知らなかった自分の適性というものが開発されてくる。そういうことも仕事を進めてゆく過程て起こってくるものてす。つまり、仕事というものはやればやるほど味の出てくるもので、辛抱をして取り組んでいるうちに、だんだんと仕事の味、喜びといったものを見出していくことができるのだと思います。

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僕は、人見知りしてあまり人と話すのは得意じゃなかったけど、ツアーガイドを長年続けていたら、人前で話すことは全然問題なくなりました。慣れは怖いものです、というか、慣れのおかげです。
でもそれは、ガイドをしていた時だけで、日常生活では、あまり話すのはまだ得意ではありません。

自分の性格はなかなか変わらないものですね。

仕事の場合は、自分の好きな事と、自分に向いている事は違うかもしれませんが、向いていると言うのは、慣れてくることかなと思います。
自分に興味の無かった仕事でも、ずっとやっていれば、それなりに要領やコツとかつかんできて、上手になってくるので、そしたら周りから、「その仕事おまえにあってるよ。向いてると思うよ。」なんていわれ始めるんじゃないかなぁと思います。

なので、向いてなくても好きなことをずーっとやっていれば、だんだん向いてくるんじゃないかなぁと思います。 と考えて、今がんばっています。

豊かさに見合った厳しさ

9月18日のお話 「豊かさに見合った厳しさ」 より

暮らしが豊かになればなるほど、一方で厳しい鍛練が必要になってくる。つまり、貧しい家庭なら、生活そのものによって鍛えられるから親に厳しさがなくても、いたわりだけて十分、子どもは育つ。けれども豊かになった段階においては、精神的に非常に厳しいものを与えなければいけない。その豊かさにふさわしい厳しさがなければ、人間はそれだけ心身ともになまってくるわけである。

しかるに、いまの家庭にはそういう厳しさが足りない。政治の上にも、教育の上にも足りない。それが中学や高校の生徒がいろいろと不祥事件を起こしている一つの大きな原因になっているのではないだろうか。

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韓国のある家庭を訪れた事があったのですが、僕から見たら、ちょっと生活は大変かなぁというような感じだったのですが、一緒に行った人はどこにでもあるような普通の家庭だと言っていました。

それからしばらくたって、メルボルンでちょっとお金持ちの韓国人と韓国映画を見に行ったのですが、一般家庭の様子が沢山でてくる映画でした。見終わった後彼女は、「あんな家庭は随分昔よねぇ、もう今はないんじゃないかしら?ねぇ?」と一緒にいた韓国人達に同意を求めたのですが、皆は、「今もあるよー。ほとんどあんな感じだよ。」と答えたので、彼女はちょっとビックリした感じでした。

きっと韓国では、裕福な家庭に育ったので、ごく普通の家庭の子達とは交流がなかったんだろうなと思います。

それにしても、いつも思いますが、松下氏のお話は現代にも言えるような事がよくでてきますねぇ。
人間の基本的なものは時代に関係なく大切だと言うことかな。

愚痴の言える部下を持つ

9月17日のお話 「愚痴の言える部下を持つ」 より

憤慨したときに憤慨できる相手があったら一番楽ですな。つまり早く言えば最高首脳者として、愚痴を言える部下が必要だということです。それが副社長でも専務でも、あるいは秘書でもいい、そういう人があれば幸せですな。

どんなにえらい人でも愚痴のはけ場がなかったら鬱積しますわ。そうするとあやまちをします。太閤秀吉でも、石田三成を可愛がったといいますけど、あれはやっぱり愚痴を石田三成にもっていったんだと思います。そうすると三成はそれを適当にうけて、うまい具合に機嫌をとったんですわ。そうすると太閤さんは頭がすっとして、またいい知恵を出したということでしょう。

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これは反対のことも言えますね。
部下が愚痴をいったら、上司はハイハイと答えたり、同意したり、同情したりとうまい具合にご機嫌をとっていれば、部下はすっきりして、気持ちを新たにして仕事に専念できる、とうまい具合に実際にはいかないかな?

まぁ、うまくいくかいかないかはわかりませんが、部下の愚痴を聞いてあげるのはいい事だと思います。

人の責任

9月16日のお話 「人の責任」 より

会社が発展するのも失敗するのも、結局はすべて社長一人の責任ではなかろうか。というのは、もし社長が“東へ行け”と言うのに、“いや私は西へ行きます”と言って反対の方向に行く社員はまずいないからである。ほとんどの社員は、社長が東へ行こうと言えば、みな東へ行く。だから、“東へ行け”と言って、もし間違ったとしたら、それは社長一人の責任に他ならないわけである。同じように、一つの部、一つの課が発展するかしないかは、すべて部長一人、課長一人の責任である。

私は、いままでいかなる場合でも、そう考えて、自問自答しながら事をすすめるよう努めてきた。

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このお話とは関係ありませんが、オーストラリアには敬老の日がありません。
なんでだろう?と毎年この時期に考えるのですが、今年も同じ事考えながらアジア食料品店に入ったら、中国のムーンフェスティバルの月餅が売っていました。「おっ!そういえば中秋の名月だったなぁ、十五夜かぁ」と考えながら月餅を買って食べました。

そういえば、昨年も月餅食べながら、なんで敬老の日がないのかなぁと考えていたような気がするなぁ。

精神的大家族

9月15日のお話 「精神的大家族」 より

核家族の風潮というのは、いい悪いは別にして、天下の大勢です。大きな流れです。けれどもそれは形の上でそうなのであって、精神の上では核家族になってはいけないと思います。あたかも大家族のごとく、年老いた老人には、家族の人たちが絶えず心を通わせるようにしなければなりません。たとえば、三日に一ペんは電話で声をかけてあげるとか、そういうつながりがなければいけないと思います。

世の中が進歩したら、それぞれ活動する場所が増えますから、どうしても離れ離れになって、大家族という形はとれません。だから一方でそれを集約する精神的なつながりが一層必要だと思うのです。

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ご存知かも知れませんが、外国では子供は高校を卒業するとほとんど家をでます。
一軒家やアパートを数人でシェアーするシステムがあるので、家賃も一人当たり少なくてすみます。

といっても、最近は物価がとても高くなり(オーストラリアの場合ですが)、 生活費もかかるので、高校を卒業しても家を出ない人も増えてきました。

それでも、社会人になるとほとんどの人は独立し、そして、やがて結婚して家族を持つようになるのですが、いったん家を出ているので、親と住むことは無く、親の方も年老いても二人だけで住み、どちらか一人になっても、ひとりですみ続ける人が多い様です。

家庭によっては、裏庭に小さな家を建てて、そこに親が住む場合もありますが、同じ家に住んでいるのは少ないようです。

赤ん坊の時から、子供は子供部屋で寝て、両親は両親のベッドルームで寝るという習慣だからかも知れません。

良いのか悪いのかわかりませんが、それでも親と子供の接する時間、精神的つながりというのは、日本に比べると(僕のいた頃の日本ですが)、非常に高いと思います。

子供と過ごす時間が長いから、精神的なつながりも強いのかな?
まぁ、反抗期の子供はどこでも同じですが。(笑)

いつくしむ

9月14日のお話 「いつくしむ」 より

昔、仁統大皇は、国中に炊事のけむりの乏しいのを見て人民の困窮を知り、三年間課役を中止し、三年後国中にけむりが満ちてはじめて、「民富めり」と再び租税を課された。その間は皇居も荒れ、雨がもるほどであっても修理されなかったという。これは伝説かもしれないが、しかし大事なことは、そのように人民をいつくしむ仁慈の心を持つことが、昔からの指導者のあるべき姿とされてきたことである。そこに日本の一つのよき伝統があり、そういうところから封建時代でさえ数々の名君が生まれたのであろう。そのことが栄えるもとだったのである。民主主義の今日でも、指導者はまず人びとの幸せを願う仁慈の心を持たねばならないと思う。

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自分の会社を持っていた頃は、スタッフの皆の幸せを願い、気持ちよく働けるようにと、慈悲の心を持っていたと思っていたのですが、とんだ勘違いでした。
会社を辞めてからわかったのですが、慈悲の心は僕にあったのではなく、スタッフの方にありました。
慈悲を受けているのは僕の方だったのでした。スタッフがもっている慈悲の心が会社を運営していた事に気づきました。

会社はスタッフの一人に引き継いでもらったのですが、同じメンバーでやっているので、今でも健在です。
業界のなかでは、一番うまくいっていると思います。

商売と誠意

9月13日のお話 「商売と誠意」 より

誠意にあふれ、真剣な思いに満ちた行動は必ず人びとの心をとらえずにはおきません。

識意をもって熱心に仕事に取り組んでいる人は、常に「こうしてはどうだろうか」とか、「この次にはこんな方法でお客さんに話してみよう」というように工夫をこらし、いろいろ効果的な方法を考えます。また同じことを説明するにしても、その話し方に自然と熱がこもり、気迫があふれます。そうするとお客さんの方でもその熱心さに打たれ、「どうせ買うならこの人から」ということになってくるわけです。そういう日々の仕事の態度というものが、やがては大きな差となって表われてくるのではないでしょうか。

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オーストラリアへ来てすぐの頃、免税店で宝石を販売していたました。
今は、もう団体は少ないと思うのですが、その頃は日本人の乗った観光バスがお店に何台も着ていました。お客様が入ってくると、オパールの説明をするのですが、一生懸命しゃべっているとだんだん声が大きくなって熱を持ったしゃべりになり、周りに人が集まるようになります。声が大きいのと人が集まっているのとで、なんか僕のしゃべっている事がいかにも正しく聞こえるらしく、(まぁ、実際本当の事しか言ってませんが)一人が買い始めると、他の人も買い始めて、たくさん売れるのでした。

その時に、熱意を持ってしゃべれば売れるんだなぁと思いました。

でも、そうじゃない場合もある事が、後からわかってきたのですが、もし、買う気がある人がいて、販売員が二人いた場合は、熱意のある人から買うかもしれませんが、買う気が無い人は買わないですね。

そこを上手く話して、買いたい気持ちに持っていくのがうまいセールスなのかもしれませんが。。。


予算にとらわれない

9月12日のお話 「予算にとらわれない」 より

一国の運営をお金の面からみますと、いわゆる予算というものを組んで、それに基づいてさまざまな施策を行なっています。お互いの商売でも、同じように予算というものによって、これを進めていく場合が少なくないと思います。

しかし、商売というものは、実際予算どおりに動くものではない。したがって、予算がない、ということで必要なことの実施を延ばしたりするのではお客様はどんどん他へ流れていってしまうと思います。予算によって商売をしていくことはもちろん大切ですが、それはあくまで内輪の心づもりであって、外部に対して必要なことは借金してでもやる、そういう商売をしなくてはならないと思うのです。

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昨年の選挙で労働党が勝ち、オーストラリアの首相がケビン・ラッド氏に変わったのですが、こちらの会計年度は7月からなので、6月に予算が発表になりました。

予算が出るまでの1ヶ月は、関係者は毎日24時間働きっぱなしでした。(と、報道されていました)
そして、予算発表になったのですが、予想通り、カットした部分がおおかったのですが、各省の人員削減も結構ありました。

僕の働いている省でも、結構人員削減があったのですが、まぁ、ほとんどが派遣やパートタイムの人たちだったと思います。そう簡単に、公務員はクビにできないですからねぇ。でも、僕は公務員の数が多すぎるんじゃんないかなぁと思います。もっと削減してもよかったんじゃないかなぁと。

働いてみてわかりましたが、忙しい時に備えて、人員を確保しているので、暇な時はとことんひまです。
誰かが、辞めたり違うセクションに移ったりすると、すぐに新たな人を補給して、頭数だけそろえておくのですが、もし忙しくなければ新たに入って来た人は、仕事が全然ないんです。

なんか税金の無駄遣いしているような気がするのですが、まぁ新しい政権になって多少は変わっていくと思うので、ひそかに期待しています。

ところで、日本の首相がまたかわるので、「またー?」とオーストラリア人にいわれました。
もともと政治には詳しくなかったのでわかりませんが、なんですぐ変わるんでしょうね?
いろいろ辞めるのが一番簡単だからでしょうか?

個人主義と利己主義

9月11日のお話 「個人主義と利己主義」 より

今日、個人主義と利己主義が混同されているきらいがあります。本来の個人主義というのは個人は非常に尊いものであるという考え方だと思います。が、一人の個人が尊いということは、同時に他の個人も尊いということになります。ですから個人主義はいわば他人主義にも通じるわけです。
それに対して利己主義というものは、自分の利益をまず主として考え、他人の利益をあまり重んじない姿です。

今日ともすれば、個人主義が誤り伝えられて、利己主義に変貌してしまっている姿がありますが、この画然とした違いをお互いに常日ごろから知っておく必要があると思うのです。

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この「一日一話」は前に一度読んでいるはずなんですが、まだ個人主義の事を、利己主義と同じだと思っていました。なかなか一回読んだだけでは、身につかないですねぇ。

今回読み返してよかった。

不健康また結構

9月10日のお話 「不健康また結構」 より

私は不健康が、必ずその人を不幸にするとは思いません。世の中には不健康で幸福になる場合もありますし、また逆に健康なためにかえっていきすぎて、不幸になる場合もあるのです。肝心なことは「不健康また結構なり」という気分になることです。不健康は不幸なことだ、悲しいことだと考えて心を乱してはいけないと思うのです。

小さい頃から病弱だった私がそういう心境になれたのは、今日考えると、やはり前途に強い希望を持っていたためだと思います。不健康のために希望を失うということでは、失敗の上に失敗を重ね、不幸の上にまた不幸を重ねることになってしまうのではないでしょうか。

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僕の娘は500gで生まれたので、帝王切開の後すぐにNICUと呼ばれる新生児の集中治療室に入りましたが、なんかやたらといろんな薬を注入したり、いろいろケアーを沢山してもらえたので、かえって健康になり、5歳ぐらいまではカゼをひいても、ちょっと鼻水たらすぐらいで、保育園を休んだ事はありませんでした。これも、未熟児でうまれたおかげかなぁ、なんて考えたりしています。

なんて、思っていたのですが、1ヶ月ほど前に、娘はカゼを引いて1週間全部休んでしまいました。
そして、先週にまたまたカゼをひいて、2日ほど休んでしまいました。(笑)

師は無数に存在する

9月9日のお話 「師は無数に存在する」 より

手近に親切な指導者、先輩がいて、自分を導いてくれる、そういう人が会社にいる人は幸せだと思います。しかし見方によれば、指導者のいないところにこそ、みずからの発展というものが考えられる、ということも言えるのではないかと思います。

蓄音機や白熱電灯などを発明開発したあの偉大なエジソンには指導者がいなかったそうです。それでみずからあらゆる事物に関心を持ち、そこに指導者を見出しました。汽車にのれば、石炭を焚く音や車輪の音に指導者を見出したわけです。みずからを開拓する気持になれば、行く道は無限に開かれている、師は無数に存在していると思うのです。

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宮元武蔵の 「我以外皆我師」 ですね。

不景気に強い経営

9月8日のお話 「不景気に強い経営」 より

好況時には少々の不勉強であっても、サービスが不十分であっても、まあどこでも注文してくれます。だから経営の良否というのはそう吟味されなくてすみます。

ところが不景気になってくると、買う方は、十分に吟味して買う余裕がでてきます。そこで、商品が吟味され、経営が吟味され、経営者が吟味されて、そして事が決せられることになるわけです。ですから、非常にいい経営の下に、いい人が行っている会社や店は、好景気にはもちろん結構ですが、不景気にはさらに伸びるということになる。そのことを事業にたずさわる者としては、日ごろ常に心にとめておかなければならないと思います。

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なるほどぉ、ですね。
余裕がある時は、まぁいいか、と言って買えたものでも、余裕がなくなると、よ~く考えてから買いますもんね。

それで思い出しましたが、昔オーストラリアのある観光地で働いていた時、とてもまずいラーメン屋さんがあったのですが、毎日とても観光客でにぎわっていました。
理由は、観光客は地元のことに詳しくないので、そのラーメン屋さんに入って、「あっ、まずい!でも外国で食べるラーメンはこんなものかな?」なんて言ってもうそのラーメン屋さんに入らないのですが、次の日になると、新たな観光客が来るので、毎日大繁盛でした。

今は、オーストラリアに来る観光客も減ってきているし、お客様の財布の紐もずいぶんとかたくなってきたように思います。財布の紐がかたくなれば、ラーメンいっぱい食べるのにも、どこのお店がおいしいかガイドさんに聞いたりすると思うので、そうなったらあのお店は誰も紹介してくれないだろうなぁ。

徳性を養う

9月7日のお話 「徳性を養う」 より

人間が人間を動かすことは、なかなか容易ではない。力で、あるいは理論で動かすことも、できないことではない。しかしそれでは何をやっても大きな成功は収められまい。やはり何といっても大事なのは、徳をもっていわゆる心服させるということだと思う。指導者に人から慕われるような徳があってはじめて、指導者の持つ権力その他もろもろの力も生きてくる。

だから、指導者はつとめてみずからの徳性を高めなくてはならない。力を行使しつつも、反対する者、敵対する者をみずからに同化せしめるような徳性を養うため、常に相手の心持をくみとり、自分の心をみがき高めることを怠ってはならないと思う。

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そうですけど、なかなかねぇ。
キリストだって最後は殺されたし。お釈迦さんだって最後はやっぱり殺されたようなものだし。
会社を経営しているときは、後から、「あぁ、やっぱりあの人は偉かったなぁ」と思われても遅いですしねぇ。
なかなか難しいなぁ。


自然を生かす

9月6日のお話 「自然を生かす」 より

自然はそれ自体のために存在しているという見方がある。しかし、もっと大きな観点に立って考えてみると、自然は人間の共同生活に役立つために存在しているのだと考えることもできるのではなかろうか。そう考えてみれば、自然を人間の共同生活の上に正しく活用していくことは、人間にとって当然なすべきことだとも言える。

むろん、単に意欲をたくましくして自然を破壊することはあってはならない。自然を十破壊して、そこから八の価値しか生み出さないというのではいけないが、十二の価値を生むならば、むしろ積極的に自然を活用していったらいいと思うのである。

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自然は人間より計り知れないほど大きいと思うし、どうかんがえても、自然や宇宙を完璧に知る事はできないので、僕は自然に対しては自然にするのが一番じゃないかと。

なんかよくわからなくなってきましたが、人間の考えはやっぱり限りがあるんだと思います。
と言うか、自然や宇宙は、もう大きすぎてどうしようもないですね。

やさしい心

9月5日のお話 「やさしい心」 より

あの人はどことなく豊かな、感じのいい人であるという場合、それはその人の心が、その人の動作ににじみでているからだと思います。これは非常に大事なことだと思います。

ことに私は、女性の尊さというものは、やはり親切な心の表われているところにこそ、ほんとうの尊さというものがあるのではないか、という感じがします。ただ強いばかりではいけません。賢いばかりでもいけません。賢い、強いということも、もちろん大切ですが、それ以上に大事なことは、心のやさしさなのです。これはすべてのものをとかすとでもいうほどの力があるのではないでしょうか。その力を失ってはならないと思うのです。

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お釈迦さんは 「ものごとは心にもとづき、心によってつくりだされる」といったり、
ガンジーは 「What he thinks, he becomes. 」といったそうです。

やっぱり心は隠せなさそうですね。

サラリーマンは独立経営者

9月4日のお話 「サラリーマンは独立経営者」 より

サラリーマンの中には、自分は所詮雇われて働いているのだから、自分の仕事に打ち込み、生き甲斐を感ずるというまでにはなかなかなれないという人があるかもしれない。そういう場合、私は次のように考えたらどうかと思う。

それは、一つの会社の社員であっても、自分でその職業を選んだからには、“自分は社員稼業という一つの独立経営者である”という信念を持って仕事をするということである。言いかえれば、独立経営者が十人あるいは百人、千人と集まって、一つの会社をつくり事業をしているのだ、と考えるのである。そうすることによって仕事に張り合いも出てき、面白味も加わってくるのではないだろうか。

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自分の会社のように考えられればそれに越したことはないけど、大企業になればなるほど社員が増えるから、なかなか一人一人が自分の会社のように考える、とはならないのが現実のような気がするけど、どうかなぁ。

それでも、与えられた仕事をきちんとこなしていれば、いいんじゃないかなぁと思います。
きちんとこなしていれば、誰か認めてくれるだろうし、認めてくれればやりがいもでてくるんじゃないかなぁと、そんな風に考えてます。

認めてくれなければ、辞めちゃえばいいと思います。
でも、辞める時には、胸を張って、この会社で働いていました!といるような会社の状態の時に辞めたいですね。という事は、やっぱり、一生懸命働らかなくちゃいけないと言う事かな?

お得意を広げるには

9月3日のお話 「お得意を広げるには」 より

自分の店のお得意さんが、他の人に「自分はいつもあの店で買うのだが非常に親切だ。サービスも行き届いているので感心している」と話されたとしたら、その人も「君がそう言うのなら間違いないだろう。私もその店に行ってみよう」ということになりましょう。その結果、お店としては、みずから求めずして、お得意さんを一人増やす道が開けるということになるわけです。

そうしたことを考えてみますと、日ごろ商売をしていく上で、お得意さんを増やす努力を重ねることはもちろん大切ですが、現在のお得意さんを大事に守っていくことも、それに劣らず大切なことではないかと思うのです。

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口コミの影響は強いなぁと思ったのは、以前旅行会社を経営している時でした。

一人のお客様に親切にしていると、知り合い全員を連れてきてくれるのでとても助かりました。
特に学生さん相手だと、ほとんどクラスの生徒全員が来るので、口コミの影響力にビックリです。

反対に、変なうわさがたったら、誰も来ないかなぁと考えるとちょっと恐くなったりもしました。

経営のコツをつかむ

9月2日のお話 「経営のコツをつかむ」 より

多くの会社の中には、非常にうまくいっているところもあれば、反対に行き詰まるようなところもある。うまくいっているところは従業員がみな優秀で、行き詰まるところはその反対かといえば決してそうではない。結局、そこに経営があるかないか、言いかえれば経営者が経営のコツをつかんでいるかどうかによって、そうした違いが生じてくるのだろう。その証拠に、経営者一人が代わることで、倒産寸前の会社が隆々と発展した例はいくらでもある。

経営のない会社は、いわば頭のない人間のようなものである。経営者が経営のコツをつかんでいる会社は力強く繁栄発展していくと思うのである。

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スポーツチームを見ていると、監督が変わるだけでえらい強くなることがありますが、いつも、選手は一緒なのに、監督だけでずいぶんと違うなぁと思いながら見ています。

優秀なセールスマンは、形のある物でも、サービスのような形のない物でも、なにを販売してもいい成績がでるように、やっぱりその人なりのコツがあるから、こういった結果になるんでしょうね。

じゃぁ、コツはどうやったら身につくかと言うと、やっぱり実際に自分の手で一つずつ、試していくしかないのかなぁ、と思います。

苦難もまたよし

9月1日のお話 「苦難もまたよし」 より

わが国では、毎年、台風や集中豪雨で大きな水害を受けるところが少なくない。しかし、これまでの例からみると、大雨が降って川があふれ、町が流れてもうダメかといえば、必ずしもそうではない。数年もたてば被害を受けなかった町よりも、かえってきれいになり、繁栄していることがしばしばある。

もちろん、災難や苦難はないに越したことはないが、思わぬときに思わぬことが起こってくる。だから苦難がくればそれもよし、順調ならばさらによし、という心づもりを常に持ち、安易に流れず凡に堕さず、人一倍の知恵をしぼり、人一倍の働きを積み重ねてゆくことが大切だと思う。

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後から考えてみれが、その災難のおかげでいい結果がでた、という事はあるとは思いますが、
災難や失敗にあった当時はそんな余裕ないですよえねぇ。

常に何がおきても大丈夫という心構えを養わなくては。

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