毎日一話

宇宙は僕の為にまわっている - そしてあなたはそれを手伝っている - 宇宙はあなたの為にもまわっている - そして僕はそれを手伝っている     Go with the flow.......

12<< 12345678910111213141516171819202122232425262728293031 >>02

プロフィール

川田 倫久

Author:川田 倫久
オーストラリアに永住し、ずっと観光業をしていたが、中年のオッサンになってから、IT関係に転職。





千の悩みも

1月31日のお話 「千の悩みも」

経営者には、一度にいくつもの問題に直面して、あれこれ思い悩むという場合が少なくありません。しかし私はいままでの経験で、人間というものはそういくつもの悩みを同時に悩めるものではないということに気づきました。結局、一番大きな悩みに取り組むことによって、他の悩みは第二、第三のものになってしまうのです。だから、百の悩み、千の悩みがあっても、結局は一つだけ悩めばよい。一つだけはどうしても払うことができないが、それと取り組んでいくところに、人生の生きがいがあるのではないか。そう考えて勇気を持って取り組めば、そこに生きる道が洋々と開けてくると思うのです。

        ========================

悩みではありませんが、ちょっと今週のキャンベラは暑くてたいへんでした。
やっと30度を超えて、遅ればせながら夏らしくなったなぁと思っていたら、33度、35度、36度、37度とだんだん上がって、明日もまだ暑くなりそう。

シドニーや、キャンベラ、メルボルン、アデレードなどの南部は、例年は暑い日が1週間も続くことがあまりなく、しかも乾燥しているので朝晩は割りと涼しいのもあって、家にエアコンがあるところが少ないので困ります。

エアコンがないところへもってきて、今週はアデレード、メルボルンでは、45度になったり、ブッシュファイヤーも発生して大変です!雨も降ってないので困る!

でも、やはり湿気が少ないので、日本の夏と比べると過ごしやすいかな。日本で45度になったら溶けてしまいそうですね。

でも、来週の天気予報も34度から37度なんで暑い!
また新たなブッシュファイヤーが発生したら大変だなぁ。

スポンサーサイト

自分を飾らず

1月30日のお話 「自分を飾らず」

私は、毎日の生活を営んでゆく上において、自分をよく見せようとお上手を言ってみたり、言動にいろいろと粉飾することは大いに慎みたいと思います。これは一見、簡単なことのようですが、口で言うほどたやすいことではありません。ことに出世欲にかられる人は、自分を他人以上に見せようとする傾向が強いようです。

しかし、人はおのおのその素質が違うのですから、いくら智恵をしぼって自分を粉飾してみたところで、自分の生地はごまかすことはできず、必ずはげてきます。そして、そうすれば、そのときには一ぺんに信用を落とすことになってしまうのです。私は、正直にすることが処世の一番安全な道だと思います。

        ========================

この間、”人はそれぞれ違う”というたとえ話を読んだけど、だいたいこんな内容でした。

昔、インドで主人の所に毎日水を運ぶ召使がいました。
2つの水瓶に川から水を汲み家まで戻るのですが、1つの水瓶にはひびがあったので、いつも半分しか水が残っていませんでした。

2年ほど経ったある日、召使がいつもどおり川で水を汲んでいると、ひびの入った水瓶が、
「自分はいつも恥ずかしく、謝らなければならないと思っている」と話しかけて来ました。
「どうして謝らなくてはならない?」と召使が聞くと、
「今まで2年間、あなたが毎日水を汲んでいるけど、自分はひびがあるので水が漏れてしまい、半分しか残らない。」と言ったそうです。
召使は水瓶の事がかわいそうになり、「今日、主人の家に帰る途中に道端の花を見ながら帰ってほしい。」と伝えました。

なるほど道端には色とりどりの花が咲いていたので、水瓶は少し気分をよくしたが、でもやはり主人の家に着くと水が半分しか残っていなかったので、申し訳なく思っていると召使に伝えました。
召使は、「お前の側だけに花が咲いているのに気づいたか?俺はお前から水が漏れているのを知っていたから、片方だけに花を植えていたんだ。」と水瓶に伝えました。
そして、「この2年間はお前のおかげで、主人のテーブルに毎日きれいな花をかざれたんだよ。」と言い足しました。

人はみんなそれぞれ違う、独自のひびを持っている。
その独自のひびを長所として見ないといけない。

という事でした。

先憂後楽

1月29日のお話 「先憂後楽」

「先憂後楽」ということは、天下の人びとに先んじて憂い、天下の人びとに後れて楽しむという、為政者の心構えを言った昔の中国の人の言葉だそうである。しかし私は、この先憂後楽ということは、単に為政者だけでなく、お互い企業の経営者としても、ぜひとも心がけなくてはならない大切なことだと考えている。

もちろん経営者とて、ときに休養し、遊ぶこともあるが、そのようなときでも全く遊びに心を許してしまわず、心は常に先憂ということでなくてはならない。それは言いかえれば、人よりも先に考え、発意、発想することだとも言える。経営者というものはたえず何かを発想していなくてはいけないと思うのである。

        ========================

「仕事が遊び、遊びが仕事」までいかなくても、仕事で何かに取り組んでいれば、プライベートの時間でも知らず知らずのうちに仕事の事を考えているときがあります。 シャワーなんか浴びていると、「あっ、そうだ! あれをやってみよかなぁ。」なんて思い出すときもあります。

僕の知り合いのプログラマーは、休みの日でもプログラムの本を読んだり、なんかいろんなコードを書いたりしています。 また、別の知り合いのウェブデザイナーは、仕事でのストレスを休みの日に自分のウェブサイトを作ることによって癒しているようです。 いろいろ注文をつけるお客様がいなく、自分で自由にウェブ作成できるからだそうです。

まぁ、この2人まではいかなくても、仕事と趣味が共通していれば楽しいかなぁ。

衣食足りて礼節を知る

1月28日のお話 「衣食足りて礼節を知る」

「衣食足りて礼節を知る」という言葉がある。これは今から二千年以上も昔の中国で言われたものだというが、今日なお広く使われているということは、そこに人間としての一つの真理があるからのように思える。

ところが、今日のわが国については、「衣食足りて礼節を知る」どころか「衣食足りて礼節ますます乱る」と言わざるをえないことが多い。これはまさに異常な姿である。われわれはいま、この世の中を正常な姿に戻して社会の繁栄、人びとの幸福を生みだしていく必要がある。そのためには、まず自己中心のものの考え方、行動をみずから反省し、戒めあっていくことが肝要だと思う。

        ========================

昨日、ほぼ日のサイトを見ていたら、山岸俊男氏が「日本人度アンケート」と言うものをとった事があると書いてありました。

アンケートの内容は、「もしあなたともう一人の人がいて、”ここに千円あるから2人で分けなさい”と言われた場合、分ける方になりたいか、分けられる方になりたいか。分け方は自由です。半分ずつでもいいし、100円と900円でもOK。” というものだそうです。

結果は僕もちょっと驚いたのですが、ほとんどの人が、「分けられる方」を選んだそうです。

なんででしょうねぇ? 僕だったら、分ける方を選んでちゃんと半分ずつにするけどなぁ。 という事は相手を信用していない事にもなるけど。

日本人は自分で決定するのは苦手とか、責任を負いたくないとか、もしかしたら相手の事を考えすぎ?

因みに、金額を高くしても結果は同じでしょうとの事でした。

過当競争は罪悪

1月27日のお話 「過当競争は罪悪」

お互いに適正な競争はやりつつも、過当競争はいわば罪悪として、これを排除しなくてはなりません。特に資本力の大きな大企業、業界のリーダー的な企業ほど、そのことを自戒しなくてはいけない。小さな企業が少々過当競争的なことをしても、リーダー的な企業が毅然として正しい競争に徹したならば、業界はそう混乱しないでしょう。しかし、もしリーダー的な企業が率先して過当競争を始めたのでは、あたかも世界大戦のごとき大混乱をもたらして業界をいちじるしく疲弊させ、その信用を大きく失墜させることにもなります。企業が大きければ大きいほど、業界の健全な発展に対する責任もまた大きいと言えましょう。

        ========================

前にも書いたけど、過当競争の末、価格が下がったりしたら消費者は得しますが、企業は利益がでなくて大変ですよね。

でも、今は世界中それどころではないですねぇ。

そして、こういう時期にも投資家なんかは設けている場合が多いんだろうなぁ。

んー、なんとかこの時期だからこそ、考えを変えていい方向に動かないとなぁ。

短所四分、長所六分

1月26日のお話 「短所四分、長所六分」

人間というものは、誰でも長所と短所を持っている。だから、大勢の人を擁して仕事をしているのであれば、それぞれに多種多様な長所と短所が見られる。

その場合、部下の短所ばかりを見たのでは、なかなか思い切って使えないし、部下にしても面白くない。その点、長所を見ると、その長所に従って生かし方が考えられ、ある程度大胆に使える。部下も自分の長所が認めてもらえれば嬉しいし、知らず識らず一生懸命に働く。しかし、もちろん長所ばかりを見て、短所を全く見ないということではいけない。私は短所四分、長所六分ぐらいに見るのがよいのではないかと思うのである。

        ========================

今日、1月26日はオーストラリアデーと言って祝日です。 日本で言う建国記念日かな。
そして、ちょうど旧暦のチャイニーズニューイヤーと重なりました。

キャンベラのチャイニーズニューイヤーパーティーはものすごく小規模なんですが、まぁ一応あのうるさい爆竹と獅子舞でも見てこようかな。 長生きするために、麺も食べてこなくちゃいけないし。

あれ、でも獅子舞は昨日だったかな?

融通無碍の信念

1月25日のお話 「融通無碍の信念」

「融通無碍」という言葉がある。これは別にむずかしい理屈でも何でもない。いたって平凡なことと思う。もし道を歩いていて、その前に大きな石が落ちてきて向うへ行けない場合はどうするか。もちろん石によじ登ってもまっすぐ行くということも一つの方法である。しかしそこに無理が生じるのであれば、石をよけてまわり道をしてゆく。それが融通無碍だと思う。

もちろんときにはまわり道のない場合もある。しかしそういうときにはまた別の方法を考える。素直に、自分の感情にとらわれないで、この融通無碍ということをたえず心がけていくところに、世に処していく一つの道があると思うのである。

        ========================

物にとらわれない事が一番いいですね。

Go with the flow.

会社の信用

1月24日のお話 「会社の信用」

自分の会社の欠点と考えられることは、社内においてお互いに誠心誠意検討しあい、その欠点を除くことにみなが努力をすることが大事だと思います。しかし、それを決して外部の人に不用意にもらさないという配慮が必要です。極端に言うと、両親にさえもらしてはいけないのだというほどの信念がなければいけないと思います。

もしも幸いにして、そういうことをみなが諒として働けば、そうした行動から非常に強い会社の信用が生まれてくると思います。それは会社に幸いし、会社の従業員全体に幸いし、ひいては会社の持つ使命を遂行する力となってくると思うのです。

        ========================

このお話とは反対に、「はたらきたい。」と言う本の中に、野村総研が、試しに社員から会社の良いところ、悪いところのアンケートを取って、その結果を就職活動をしている学生用のパンフレットに載せたそうです。

良いところは、「日本一大きいシンクタンクだけあって、設備などが整っている」とか、「人のアポイントが取りやすい」とかあったそうです。 悪いところは、「結構サラリーマンタイプが多い」とか、「やりがいはあるけど、納期がとても厳しい」だとかあったそうです。

そして、そうした事もわかった上で入ってきた人たちは、入社後の適応度や定着率は良かったそうです。

ある程度覚悟して入ったから、「えー、思ってたのと違うなぁ」とか言うこともなく、かえってこういう方ががいいのかもしれませんね。

物をつくる前に人をつくる

1月23日のお話 「物をつくる前に人をつくる」

私は、ずっと以前でしたが、当時の年若き社員に、得意先から「松下電器は何をつくるところか」と尋ねられたならば「松下電器は人をつくるところでございます。あわせて電気商品をつくっております」とこういうことを申せと言ったことがあります。

その当時、私は事業は人にあり、人をまず養成しなければならない、人間として成長しない人を持つ事業は成功するものではない、ということを感じており、ついそういう言葉が出たわけですが、そういう空気は当時の社員に浸透し、それが技術、資力、信用の貧弱さにもかかわらず、どこよりも会社を力強く進展させる大きな原動力となったと思うのです。

        ========================

今日は、半年に1回の、日本語ではなんと言うかわかりませんが、個人の働きぶりの査定みたいなものがありました。 各部署のディレクターと話すのですが、各ポジションによって仕事内容や目標などを決めてあり、それにしたがって働いてきたかどうかを見ます。 その結果、昇進するかどうかが決まります。

オーストラリアの公務員はそれぞれの部署に予算があって、極端な話、予算がオーバーしそうになるのなら、昇進、昇給もありません。 なので、その部署で上のポジションの空きが出てこないようだったら、昇進は無理なので、他の部署での空きがないか探し始める事になります。 それと、さらに変なのが、他の部署のポジションに応募する時は、上司に知らせて自分の紹介人というか、推薦人みたいなものになってもらう事があります。 ですから自分の上司と中が悪いと、いろいろ不都合な事があります。 というか、もう終わりです。 ひたすら自分の上司が移動しないか願うだけです。

今回のディレクターとのミーティングでは、ほとんどの人が、「仕事ばっかりしないで、もっと人と話すように。」といわれたようです。 根をつめて1日中仕事ばっかりしないで、他人とのコミュニケーションも大切だと言いたかったようですが、なにしろ普段から話をするのが好きな上司なので、ミーティングの間中、一方的に世間話をして30分が終わってしまったようです。

みんなは、「なんだこれ?」 と思っただけでした。

長年のツケを払うとき

1月22日のお話 「長年のツケを払うとき」

戦後三十年間、政治の仕組み、教育のあり方、またお互いのものの考え方、生活態度の中に、知らず識らず、いろいろなムダや非能率が生まれ、増大してきた。それがつもりつもって物価をジリジリと押しあげ、とうとう今日の事態を招来したのである。

お互いに考えるべきことを考えず、改善するべきことを改善してこなかった、長年のたまりたまったツケがまわってきたのである。だれが悪い、かれが悪いと責めあっているときではない。そのツケはそれぞれの分に応じて払わなくてはならない。その覚悟を真剣に持つことができるかどうか。そこがきわめて大切な点だと思うのである。

        ========================

話は変わって、先週末から妻が仕事で外国に行っています。
父娘で1週間近く暮らしましたが、なんかシングルマザーは大変だなぁと思ってきました。

朝起きて、朝食食べさせて、お弁当作って、幼稚園送って、仕事して、幼稚園迎えに行って、お風呂入れて、夕食作って食べさせて、「テレビもう終わり!」 と叫んで、「歯磨きした?」 と叫んで、「トイレは?」 と聞いて、「明日また早いんだから、さっさと寝ないとだめだよ!」 と言ってベッドに入れて、こんな毎日は疲れるなぁ。

うちは、子どもが1人ですが、オーストラリアには離婚する人が沢山いて、シングルマザーで2人も3人も子どもをかかえながら働いている人をみます。 よくやってるなぁ。

また、離婚した場合は圧倒的に母親の方が子どもを引き取りますが、やっぱり父親は子育てはダメなんでしょうか? というか、男は女を作って出ちゃう方が多いのかな? 

まぁ、僕は絶対なにがなんでも、子どもをひきとりたいけどな。

とりあえす、妻は明日に帰ってきます。 よかったよかった。

当たってくだける

1月21日のお話 「当たってくだける」

ある時会社で社員が集まってさかんに議論している。どうしたのかと尋ねると、「この製品を新しく発売するのですが、これが売れるかどうか検討しているのです」と言う。

そこで私は「それはさぐるより仕方がないのではないか。売れるか売れないかを、ある程度議論することは必要だが、ある程度以上は議論してみてもはじまらない。あとは“当たってくだけろ”だ。それは買ってくれる人に尋ねるより仕方ないのではないか」と言ったのである。

ある程度考えた後は、勇気を持ってやる。そういうことが商売だけでなく政治にも、その他あらゆる日常生活の分野においても、ときに必要だと思うのである。

        ========================

僕は、やろうかなぁ、どうしようかなぁと迷った時は、とりあえずやってしまいます。
いい加減ですが、後のことは後で考えればいいかなぁと思います。
事がおこってしまえば、切羽詰ってくれば、そのままやらざるを得ないので、それでOKかなぁ。

苦情から縁がむすばれる

1月20日のお話 「苦情から縁がむすばれる」

需要家の方からいただくおほめの手紙はもちろんありがたいけれども、苦情の手紙をいただくのもありがたいことだと思います。かりに苦情を言わない方はそのまま「あそこの製品はもう買わない」ということで終わってしまうかもしれません。しかし不満を言ってくださる方は、そのときは「もう買わない」というつもりでも、こちらがその不満を丁重に扱って、不満の原因をつかむとともに、誠心誠意対処すれば、その誠意が通じ、かえって縁がむすばれる場合が多いと思います。

ですから、苦情を受けたときは「縁がむすばれる好機」と考え、一つの機会として生かしていくことが大事だと思うのです。

        ========================

以前メルボルンで家を改築している時に、ドアを購入することになりました。
大きなドア屋さんに行って、あれこれ迷ったあげくにやっと3枚のドア選び、それぞれにガラスの窓を入れてもらうよう頼みました。

2週間ほどしたらお店から、できたから取りに来て欲しいと電話があったのですが、さすがにドア3枚も入る車をもっていなかったので配達をお願いしました。 配達は午前中にすると言うので、その日は半日仕事を休んで家で待っていたのですが、なかなか来ません。

もうお昼近くになったのでお店に電話して、「いつになったら来るんですか?」 と聞くと、
「お宅のドアはできていませんよ」 なんて答えが帰って来ました。
「えっ、でもできたから取りに来いと電話があったんですけど。」 と言うと、
「誰から電話がありました? できてませんよ。」 などと言っています。

押し問答していてもしょうがないので、いつできるか聞くと、来週の金曜日だったらできているので配達しましょう、なんて言っています。

これもしょうがないので、金曜日にまた半日休みを取り、朝一番にお店に電話して確認したところ、「ちゃんとリストにのっているから、お昼までには着きます。」 との事でした。
ところが、またもお昼近くになっても来ないので、もう一度電話すると、
「今日はどこにも達配予定はありません。」 などとほざいています。
「予定ありませんて、朝も確認したけど、リストにちゃんとのってましたが!」 と言うと、
「おかしいですね、誰と話しました?」 なんて聞いてきます、
「名前なんて聞いてないけど、調べてもらったら今日来るって言ってました!」 と言っても、
「とにかく今日は配達はしていません。」 とのんきな事しか言いません。

そのうち、ドアはちゃんとできているか不安になったので聞いたところ、完成はしているようです。
「じゃあ、明日必ず配達して下さい!」 と言いましたが、
「土日は配達はしていません。」 と返ってきます。
「そんなこたぁ知らない!もう2回も仕事休んで待ってんだから、明日必ず配達!」 と叫ぶと、
「じゃぁ、しょうがないですね、特別に配達します。」 と約束してくれました。
なんだよ、配達できるじゃん、と思いながら土曜日に待っていました。

玄関のノックする音がなったので、「お~、やっと来た!」 と今までの事も忘れて喜んでドアを開けました。 「オー、サンキューサンキュー」 と言ってドアを受け取ったのですが、よ~く見ると、3枚のうち、1枚しかガラスが入っていません!
残り2枚のドアには、ただ寂しくなにもない空間があるだけです。 なんと完成してないドアを持ってきたようです! 僕はもう発狂して暴れだしそうになり、さんざん文句を言ったと思うのですが、記憶にあるのは配達員はどうやらお店の人ではなく、宅配会社のひとで、言われるままに配達して来たようです。  お店に電話しても誰もでないので、しょうがなく1枚だけ受け取り2枚は持って返ってもらいました。

もう僕の頭にはこの最後の配達の日が強烈に残っていて、その後はどうなったか覚えていないのですが、改装は終わった記憶はあるので、残りの2枚のドアはちゃんと後から来ていたはずです。

この後は、腹が立ったので2度とそのお店に行こうとは思いませんでしたが、今から思えば苦情の手紙でも出しとけばよかったなぁと時々考えます。 でも、何もかわらないかもなぁ、、まぁこれは極端なケースだけど、似たようなことはしょっちゅうあります。 さすがオーストラリア。

人情の機微を知る

1月19日のお話 「人情の機微を知る」

人間の心というものは、なかなか理屈では割り切れない。理論的にはこうしたらいい、と考えられても、人心はむしろその反対に動くということもあろう。一面まことに厄介といえば厄介だが、しかし、やはりある種の方向というか、法則的なものがあるとも考えられる。そうしたものを、ある程度体得できるということが、人情の機微を知るということになるのだと思う。

では、人情の機微を知るにはどうしたらいいか。それはやはり、いろいろな体験を通じて、多くの人びととふれあうことである。そうした体験に立ちつつ、常に素直な目で人間というものを見、その心の動きを知るということが大切だと思う。

        ========================

僕はいろんな心がけを仕事や対人関係で試していますが、家の外でうまくできるのに、家庭ではうまくいかない事がしょっちゅうあります。

他の人に対しては、おおらかな気持ちで接しられるのに、妻や娘に対してはつい怒ったり叱ったりしてしまいます。 これは、相手が身内だったら真剣に考えるから、自分の気持ちが素直にでるからだと思いますが、という事は、他人だと真剣さ、素直さがないのかなぁと最近は思ってきました。

他人に対して文句を言ったり、怒ったり、叱ったりする人と言うのは、真剣さ、素直さがあると言うことかな?

水道の水のように……

1月18日のお話 「水道の水のように……」

加工された水道の水は価値がある。今日、価あるものを盗めばとがめられるのが常識だが、通行人が門口の水道の栓をひねって存分に飲んだとしても、とがめたという話はきかない。直接、生命を維持する貴重な価値ある水でさえ、その量があまりに豊富であるゆえに許されるということは、われわれに何を教えるか。

それは、すなわち生産者の使命は貴重なる生活物資を、水道の水の如く無尽蔵たらしめることである。いかに貴重なるものでも、量を多くして無代に等しい価格をもって提供することにある。

われわれの経営の真の使命はまさにここにあると思うのである。

        ========================

オーストラリアでは、労働賃金が高いのと、人口が少なくマーケットが小さい、その上に物持ちがいいのとで、なかなか物が安くなりません。

国内だけでなく、海外にも目を向けてマーケットを大きくすればいいのになぁと思いますが、それも価格競争には勝てないようで、難しいようです。

以前、キャノン・オーストラリアの社長のお話を伺う機会がありましたが、彼が就任直後にオーストラリアの従業員に、「海外にも目を向けよう」 と働きかけると、「国内で十分成功しているのだから、わざわざ海外に目を向けなくてもいいじゃないか」 というような事を言われたそうです。

なかなかオーストラリア人らしい答えだなぁと思って聞いていました。

それにしても、オーストラリアは水道料が高いし、また水不足でもあるので制限が設けられました。 庭に水をやったりするのも1日おきじゃないとダメとか、スプリンクラー禁止、洗車はホースを使わないでバケツに入れた水を使用する等、これらを守らないと罰金です。

決意を持ち続ける

1月17日のお話 「決意を持ち続ける」

指導者にとって大事なことの一つは、志を持つということである。何らかの志、決意というものがあってはじめて、事は成るのである。だから志を立て決意をするということが必要なわけだが、それは一度志を立て、決心すればそれでいいというものではない。むしろ大事なのは、そうした志なり決意を持ち続けることであろう。そのためには、やはり、たえずみずからを刺激し、思いを新たにするようにしなくてはならない。

一度志を立て、決意することによって、非常に偉大なことを成し遂げられるのも人間であるが、その志、決心をなかなか貫き通せない弱さをあわせて持つのも、これまた人間である。

        ========================

志を持ち続ける為には、朝晩にその決意を声を出して読んでみるとか、紙に書いて見えるところに貼っておくとか、手帳に書いていつでも目に付くようにするとか、寝る前に潜在意識にうったえるとか、いろいろ方法はあるようだけど、結局のところ人間は忘れてしまうからですね。

潜在意識の例として、自分の名前は潜在意識に植え付けられているので、人ごみで名前を呼ばれたら聞こえるが、他人の名前だと聞こえないというのを聞いた事があります。

確かにそうで、ツアー団体を率いている時は、空港ではしょっちゅう聞きにくい放送がかかっていますが、お客様の乗る便の放送がかかると不思議と聞こえてきたものでした。

また、僕の娘は右足が完全には自由に動かないのですが、英語で Cerebral Palsy (小児麻痺)という病名です。 この単語を知ってから不思議といろんなところで目につきます。

何かをいつも気にしていると、自然とそれに関したいろんな事が目に付くようになるんだなぁと、実感しました。

武士道と信頼感

1月16日のお話 「武士道と信頼感」

昔、武士は庶民の上に置かれ、尊敬されていた。これは一つには、武士が武力を持っていたからとも考えられるが、それだけではない。やはり武士は道義に厚く、武士としての精神を忘れず、いわゆる武士道に徹することにより、庶民の信頼と尊敬をかち得ていたものと思う。

これは会社の中でも言える。経営者には経営者道、従業員にはいわば従業員道ともいうべきものがあると思う。それぞれ当然やるべきことがある。これをお互いに責任を持って貫いてゆくというところに、信頼関係の基礎があり、その信頼関係を高めてゆく推進力があるのではないだろうか。まずお互いの立場で、それぞれの道に徹したい。

        ========================

半年ほど前に、新渡戸稲造の「武士道」を読む機会があったけど、あまり面白くなかった。 というか、あまり理解できなかったかな。 頭に残っているのは話の中に出てきた、外国人を殺害した罪で切腹した人の話と、これまたりっぱに切腹した3兄弟の話でした。

でもこの本は、切腹の事を書いた本ではないので、機会があったらもう一度読んでみなくちゃなぁと思っています。

青春とは心の若さ

1月15日のお話 「青春とは心の若さ」

“青春とは心の若さである。信念と希望にあふれ、勇気にみちて日に新たな活動をつづけるかぎり、青春は永遠にその人のものである”  これは私があるヒントを得て座右の銘としてつくった言葉である。当然ながら、人はみな毎年歳をとってゆく。それはいわば自然の掟である。しかし私は、精神的には、何歳になろうとも青春時代と同じように日々新たな気持を持ち続けることができるはずだと思う。その精神面での若さを失いたくないというのが、かねてからの私の強い願いなのである。特に最近は、心は絶対に老いさせないということが、個人的にも、また周囲の環境からも要請されていることを強く感じている。

         ========================

僕は、歳をとってからコンピューターの学校にいったのですが、当然クラスの中は僕以外は一人を除いて、全員僕の半分ぐらいの年齢でした。

ある時、先生が1970年代に作られた古いコンピューターのことを話していて、
「まぁ、この時代のことを知っている人は少ないとおもうけど。」 と言うと、生徒の一人が、 
「少ないどころか0だよー。70年代に生まれているやつすらここにはいないと思うよ。」 と言っていました。

僕は、心の中で、 「そうだよなぁ、70年代生まれはいないよなー、俺は60年代生まれだもんなー」 と苦笑いをしていました。

不景気またよし

1月14日のお話 「不景気またよし」

好景気は結構だが、不景気は感心しないという。たしかに、その時点時点で見るとそうであろう。

けれども、そういう一コマ一コマであっても全体について見たら、不景気の過程もまた偉大なる生成発展の一つであるとも考えられる。

不景気のときには苦しく困難ではあるが、不景気なるがゆえにはじめて得られるものがある。不景気になったために知らなかったことを知った、ある悟りを開いたということがある。それによって次の手が打てる。だから不景気のときには、伸びているところも少なくない。そういう見方をするならば、不景気もまた結構ということになると思うのである。

        ========================

最近は日本の派遣切りのニュースをよく聞きます。

オーストラリアの各省庁も、世界同時不況の前から派遣(こちらでは、コントラクター)切りを発表し、スタートさせていました。 今は、なおさら急いで実施しているようです。

コントラクターの人たちは、「いつ仕事がなくなるかなぁ、不安だなぁ」と嘆いていますが、それは正社員でも同じことだと思うし、給与が高いからあえて、正社員ではなくコントラクターになった人がほとんどですから、遅かれ早かれコントラクターの首切りは覚悟しているべきだと思います。 誤解を受けるかもしれませんが、自分がこっちの方がいいと思って歩んできた道だし、いままで他のひとよりいい思いをしたぶん、リスクも大きいのは当たり前じゃないのかなぁと思います。

もちろん、仕事がなくなるのはかわいそうだなぁ、大変だろうなぁと思います。
特に日本の派遣の人たちは、それほど待遇がよくないようなので、大変だろうなぁ。
派遣以外でも、職を失った人たちは大変ですね。 でも、めげずに頑張ってほしいですねぇ。

こんな時こそ何かを始めるチャンスかも!

枠にとらわれず

1月13日のお話 「枠にとらわれず」

私たちは仕事を進めていく際に、ともすれば自分で自分の枠を決めてしまってはいないか。

たとえば、ラジオのデザインにしても、元来、デザインは固定したものでないのだから、三角でも円でもよいはずなのに、ほとんど箱型である。このことに限らず、不思議なことに人間は自ら枠をつくり、その中に入ってしまうという悪い傾向がある。これも自己を保身する一つの行き方かもしれないが、窮屈な枠の中で窮屈なものの考え方をしていては、心の働きも鈍くなり、自由自在なよい智恵が出てくるものではない。ものにはいろいろな見方がある。時と場合に応じて自在に変えねばならない。そこにこそ発展が生まれるのである。

        ========================

以前、旅行商品を作る時に、ビジネスパートナーが従来の固定された順路と逆のツアーを作って見ました。 周りの同業他社からは、「まぁ、やってみればー。 どうせ今のままがいいと思うけど。」と言う意見をもらっていたのですが、ツアーを始めて見ると、お客様からは好評でした。

従来どおりの順路でも悪いところは全然ないのですが、逆にしても都合が悪いところはなかったです。 反対に込んでいる時期なんかは、こちらは反対車線を走るので、交通量が少なく良かった面もありました。

なんでも、やってみないとわからないもんですね。

人生を設計する

1月12日のお話 「人生を設計する」

毎日、なにがなしに仕事をしている、ということでは困ると思います。何でもいい、何か一つの目的を持つ。そういうものを日々持ってそして同時に、一ヵ月先、あるいは一年なら一年の間には、こういうことをやってみるのだ、という一つの自己設計とでもいうものを持つことが大切だと思います。

そして、それはうまくいく場合もありますし、うまくいかない場合もあります。しかし、これはもう仕方がありません。仕方がないけれども、そういうものを持っているということ、次つぎに生んでいくということ、それが、私は生きがいというものにつながっていくと言ってもいいと思うのです。

        ========================

昨年の暮れから手帳にやりたい事、読みたい本、見たい映画、行きたい場所などをを書き出して、ひとずつ達成していく度に消していくと言う方法を試してみたが、なんかリストが多くなっていくばかりで、まだひとつも消えていません。

いつになったら全部消せるかなぁ。

日本のよさを知る

1月11日のお話 「日本のよさを知る」

私は日本ほど恵まれた国はないと思うのです。一億という人口があって、しかも一民族であり一言語である。気候、風土も非常に好ましい状態に置かれている。こういう国を擁して偉大なる発展をしないというのはどうかしています。素直に考えてやっていけば、次つぎとこの国を生かしていく道ができてくると思うのです。

そのためにはまず自分の国というものをよく知らなければいけない。われわれは日本を、日本人というものを知らなくてはならない。むろん何もかもよいというのではありません。欠点は欠点で、これは当然直さなければいけませんが、それを差し引いても、まだ余分にいいところがだいぶ残ると思うのです。

        ========================

そうだそうだ!

「一番」 と漢字で書いたティーシャツが外国で売られているほど、やっぱり日本は一番いい国です。 食べ物もうまいし。。。

オーストラリアは二番!

でも、子どもを育てるんだったら、オーストラリアが一番!

社会にやらせてもらう

1月10日のお話 「社会にやらせてもらう」

お互いの仕事なり職業というのは、それぞれに自分の意志で選び、自分の力でやっているようではあるが、本来は社会がそれを必要としているからこそ成り立つものである。つまり、自分がやっているのではなく、社会にやらせてもらっているのだということが言えると思う。床屋の仕事でも、髪をキチンとしたいという人びとの要望があって、はじめてそれが必要とされるのである。このことは、どんな仕事についても同じである。

そういうことを考えてみると、そういう仕事を世間からやらせてもらえるのは、ほんとうにありがたいことだという感謝の念も生じてくると思うのである。

        ========================

旅行業界にいた時は、「まったく、お客さんは甘えてばっかりで、ちょっとは自分でやろうと言う気がないのかなぁ」 なんて文句を言っていましたが、そういうお客様がオーストラリアに来なかったら、自分達の仕事がなくなってしまうので、感謝しなくちゃなぁと思った事がありました。 

まぁ、でもやっぱり、人に頼りすぎるお客様にはもうちょっと自立してほしいですねぇ。

雨が降れば傘をさす

1月9日のお話 「雨が降れば傘をさす」

経営者たるものは、すべて天地自然の理法に基づいて行動しなければならない。これは何もむずかしいことを言っているのではない。たとえば雨が降ったら傘をさすということである。

つまり集金をせねばならぬところには集金に行く、売れないときには無理に売ろうとせずに休む、また売れるようになれば作る、というように大勢に順応するということである。

集金すべきところから集金もせずに、新たに資金を借りようとする人があるようだが、金を借りるのならば、まず集金に全力を尽す。それでもなお資金がいるときにはじめて借りる、という至極簡単な当たり前のことを、どれだけ的確に行なうかが非常に大事なのである。

        ========================

当たり前の事をきちっきちっとやっていかなくてはならないのに、雨でもずぶ濡れで走ったり、大きな川を無理して泳いだりとかしてきたので、歳をとってから結構疲れてしまいました(笑)。

それにしても、オーストラリアもずっと良かった景気が悪い方向に向かっているようで、金利を下げたりしています。 世界には当たり前の事をやって来なかった人達が多いようなので、これからどうなるかなぁ?

祈る思い

1月8日のお話 「祈る思い」

みずから何もせずしてただ神仏にご利益を願うというようなことは、人間としてとるべき態度ではないと思う。また、そんな都合のよいご利益というものはあり得ないだろう。

 しかし人間がほんとうに真剣に何かに取り組み、ぜひとも成功させたい、させねばならないと思うとき、そこにおのずと何ものかに祈るというような気持が湧き起こってくるのではないか。それは神仏に祈念するというかたちをとる場合もあろうし、自分なりにそれに準ずるものを設定して願うという場合もあろう。そういうことは一つの真剣さの現われであり、またみずからの決意を高めるという意味からも、大いにあっていいことだと思う。

        ========================

今日はキャンベラのお天気について。。。
夏まっさかりと言うのに、例年とちがって30度を超える日がちょこっとしかなかったのですが、一昨日が34度、昨日は36度と急に暑くなってきました。 と思うと、今日の天気予報は27度です。
だれかが、今年は秋に入った3月に暑くなるインディアンサマーになるかも、といっていました。 
なんで”インディアンサマー”って呼ぶんだろう?

熱意は磁石

1月7日のお話 「熱意は磁石」

いかに才能があっても、知識があっても、熱意の乏しい人は画ける餅に等しいのです。反対に、少々知識が乏しく、才能に乏しい点があっても、一生懸命というか、強い熱意があれば、そこから次つぎとものが生まれてきます。その人自身が生まなくても、その姿を見て思わぬ援助、目に見えない加勢というものが自然に生まれてきます。それが才能の乏しさを補い、知識の乏しさを補って、その人をして仕事を進行せしめる、全うさせる、ということになるわけです。

あたかも磁石が周囲の鉄粉を引きつけるように、熱心さは周囲の人を引きつけ、周囲の情勢も大きく動かしていくと思うのです。

        ========================

これは僕の考える、

”宇宙は僕の為にまわっている、そして皆がそれを手伝っている、
宇宙はあなたのためにもまわっている、そして僕はそれを手伝っている。”

だと思いま~す。

素直な心とは

1月6日のお話 「素直な心とは」

素直な心とはどういう心であるのかといいますと、それは単に人にさからわず、従順であるというようなことだけではありません。むしろ本当の意味の素直さというものは、力強く、積極的な内容を持つものだと思います。

つまり、素直な心とは、私心なくくもりのない心というか、一つのことにとらわれずに、物事をあるがままに見ようとする心といえるでしょう。そういう心からは、物事の実相をつかむ力も生まれてくるのではないかと思うのです。

だから、素直な心というものは、真理をつかむ働きのある心だと思います。物事の真実を見きわめて、それに適応していく心だと思うのです。

        ========================

ある時にジャパン・フェスティバルで、焼きそばの模擬店をする事になりました。
もと焼きそばやで働いていた人に、ちょっと焼き方を教わったのですが、
「もう、言った通りに、バカみたいにそのまんまの事するんで、教えやすいですねぇ」 なんて、バカにされてるのかほめ言葉かよくわからないような事を言われたのですが、これは、「本当の意味の素直さというものは、力強く、積極的な内容を持つ」 とは違うかな(笑)?

先見性を養う

1月5日のお話 「先見性を養う」

先見性を持つことは指導者にとってきわめて大切なことだ。先見性を持てない人は指導者としての資格がないといってもいいほどである。時代というものは刻々と移り変わっていく。きのう是とされたことも、きょうは時代遅れだということも少なくない。

だから、その時代の移りゆく方向を見きわめ、変わっていく姿を予見しつつ、それに対応する手を打っていくことによって、はじめて国家の安泰もあり、企業の発展もある。

一つの事態に直面して、あわててそれに対する方策を考えるというようなことでは、物事は決してうまくいかない。心して先見性を養いたいものである。

        ========================

むか~し、メルボルンに某日本食レストランがあったのですが、その当時ではおしゃれな日本食レストランでした。 他のレストランはウエートレスは着物を着て、内装は障子やちょうちんを飾ったりしていて、日本人以外のお客さんに一般受けするように作っていました。

その某日本食レストランは、日本っぽさも残しながら、普通のカフェてきな感覚も取り入れて、「おー、これからはこういうレストランの方がおしゃれで受けるだろうなぁ」と楽しみにしていたのですが、残念ながら数年で閉店してしまいました。 

後からオーナーに会う機会があったので、話を聞いてみると、お金持ちのお客さんや芸能関係の人たちは出いりしていたようですが、一般の人はあまり来なかったようです。 

これは先見性があってよかったと思うのですが、でもちょっと早すぎたのかなぁ? とか、シドニーだとうまくいってたかなぁ、とか思ったりもしました。

くやしいのは、閉店後数年で同じような感覚の日本食レストランが沢山でてきてはやっている事です!
やっぱり、メルボルンの人たちには早すぎたのかなぁ?

はじめに言葉あり

1月4日のお話 「はじめに言葉あり」

「はじめに言葉あり」という言葉がある。聖書の中にあるそうで、私はその深い意味はよく知らないが、これは経営にもあてはまることではないかと思う。

つまり、経営者、指導者の人はまずはじめに言葉を持たなくてはならない。言いかえれば、一つの発想をし、目標をみなに示すということである。あとの具体的なことは、それぞれ担当の部署なり社員なりに考えてもらえばいい。しかし、最初に発想し、それを言葉にすることは、経営者がみずからやらなくてはいけないと思う。

そしてそれは、企業経営だけでなく、日本の国全体としても望まれることであろう。

        ========================

プレゼンの時でも、最初に結論を言った方が良いと聞いたことがあるけど、これも一緒かな?

不確実な時代はない

1月3日のお話 「不確実な時代はない」

不確実性の時代と人はよく言います。事実、思わぬことが次つぎと起こって混乱することがよくありますが、私は不確実性ということは肯定しません。なぜなら、不確実な現象は全部人間自身の活動の所産であり、人間自身が不確実な考えを持ち、不確実な行動をするところに起こってくるものだと思うからです。
だから、不確実な考えや行動をやめたら、確実になってくる。そういう自覚で仕事をすることが大切だと思います。

未来は“確実性の時代”だという発想の転換、未来に対処する基本的姿勢の転換こそ、今日、私たちお互いの緊急重要事ではないかと思うのです。

        ========================

今日は、娘の6歳の誕生日です。
親は特に苦労したとは思いませんが、500gで生まれて、脱腸や軽症の脳性小児麻痺を乗り越えて、よく頑張ってここまで生きてきたなぁ、彼女は偉いなぁと改めて思いました。

こちらは夏休みが終わった、2月からが新学期です。 彼女は今年から小学校0年生(1年生の前の予備軍)に入ります。 どういう1年になるかなぁと楽しみです。 しかし、まだほとんど毎晩夜中になると、親のベッドにもぐりこんでくるので、これから直していかないとダメだなぁ。

信念は偉大なことを成し遂げる

1月2日のお話 「信念は偉大なことを成し遂げる」

私は、弘法大師の開かれた高野山にのぼって、非常に教えられたことがあります。いまでこそ自動車道路も電車もケーブルもできていて、便利といえば便利ですが、お山を開かれた千百数十年前に、あれだけへんぴなところを開拓し、そこに道場をたてるという弘法大師のご執念というか、信念というものは、想像もできないほど強いものがあったと思うのです。われわれはなかなか弘法大師さんの境地にふれることはできません。けれども、私はそのとき、やはり人の心、一念、信念というものは偉大なことを成し遂げるものだということを痛切に感じて、私も自分の分に応じた一念、信念を持たなければいけないなと感じたのです。

        ========================

「信念は山をも動かす。しかし、念じている間は山を押し続けなくてはならない。」とメイソン・クーリーという人が言ったそうです。 

山が動くまでは、思っているだけでなく行動しなくてはならないとか、信念を持ち続けなくてはならないと言うことだと思いますが、どうしても途中で、「本当に動くかな?」と思ってしまいます。

これは、昨日の「毎日続けること」とも一緒かな?

 | ホーム |  »

ブログ内検索

ブロとも申請フォーム

QRコード

QRコード