毎日一話

宇宙は僕の為にまわっている - そしてあなたはそれを手伝っている - 宇宙はあなたの為にもまわっている - そして僕はそれを手伝っている     Go with the flow.......

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プロフィール

川田 倫久

Author:川田 倫久
オーストラリアに永住し、ずっと観光業をしていたが、中年のオッサンになってから、IT関係に転職。





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感謝の心は幸福の安全弁 ・ 健康管理も仕事のうち

2月28日のお話 「感謝の心は幸福の安全弁」

感謝の念ということは、これは人間にとって非常に大切なものです。見方によれば、すべての人間の幸福なり喜びを生み出す根源とも言えるのが、感謝の心とも言えるでしょう。したがって、感謝の心のないところからは、決して幸福は生まれてこないだろうし、結局は、人間、不幸になると思います。

感謝の心が高まれば高まるほど、それに正比例して幸福感が高まっていく。つまり、幸福の安全弁とも言えるものが感謝の心とも言えるわけです。その安全弁を失ってしまったら、幸福の姿は、瞬時のうちにこわれ去ってしまうと言ってもいいほど、人間にとって感謝の心は大切なものだと思うのです。

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2月29日のお話 「健康管理も仕事のうち」  (閏年の分も入れました)

会社生活をしていく上で、何と言っても大切なのは、健康、それも心身ともの健康です。いかにすぐれた才能があっても、健康を損ねてしまっては十分な仕事もできず、その才能も生かされないまま終わってしまいます。

では、健康であるために必要なことは何かと言うと、栄養であるとか、休養とかいろいろあるでしょう。しかし特に大切なのは心の持ち方です。命をかけるというほどの熱意を持って、仕事に打ち込んでいる人は、少々忙しくてもそう疲れもせず、病気もしないものです。

お互い、自分の健康管理も仕事のうちということを考え、人それぞれのやり方で心身ともの健康を大切にしたいものです。

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先日、80歳になる義理の父が足を骨折して入院した事を書きましたが、もう少し前から僕の祖母も脳血栓でたおれて入院していました。

祖母は93歳の割には元気で、杖をつきながらですが近所も歩き回れたぐらいです。 それほど元気だったのですが、やはり歳が歳なのでついに倒れてしまいました。 

昨日実家に電話して様子を聞いたのですが、左半分が動かなくなったので、リハビリを毎日しているそうです。 ですが、どうもリハビリをしてるときに、オナラがでてしまうそうです。 先生には申し訳ないので、リハビリ前には、オナラがでるかもしれないので一応先に謝っておくそうです。 そして、リハビリ開始となってオナラを我慢するのですが、我慢すればするほど出た時に勢いがついて、「プー」っと大きな音がでてしまうそうです。

「先生には、申し訳なくて申し訳なくて。 毎日ウンチはでてるので、そんなに臭くはないと思うんだけどねぇ。」 と話しているそうです。

まぁ、元気そうなのでよかったです。

周りの人が歳をとって入院したとか言う話を聞くと、自分も年老いてきたら気をつけなくちゃなぁと思うようになったのですが、若いときは気にしなかったけどなぁとも思います。

「若いもんは人の話も聞かないで!」とか言う人もいますが、まぁみんな、歳をとったら自然に人の話に耳をかたむけるようになると思うので、若いもんは若いもんでそのままがいいのかなぁと思いました。

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誠意あればこそ

2月27日のお話 「誠意あればこそ」

先般、部品の一つに不良のある商品をお得意さんにお送りしてしまったときに、その方が厳重に注意しなければ、ということで会社に出向いてこられたことがあった。しかし、実際に会社へ来てみると、社員の人びとが一心に仕事に打ち込んでいる姿を見て、憤慨もせず、かえって信用を深めて帰られた、という話を聞いた。

このことから私は、誠実かつ熱心に日々の仕事に力強く取り組むということが、いかに大きな力を持っているかということを、つくづく感じさせられた。そういう態度というものは、見る人の心に何物かを与えるばかりでなく、仕事そのものの成果をより高める原動力にもなると思うのである。

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誠意だけじゃ物は売れないとは思いますが、一生懸命に取り組んでいると認めてくれる人はいると思います。

前に、観光客を乗せて、バスを運転しているときに、なんと故障でとまってしまいました。
不幸中の幸いで、休憩所から出てすぐの所だったので、他のツアーのバスドライバーに空席がないか聞きにいけました。 次の休憩所までは50キロぐらいはあったので、もしその途中で故障していたら、携帯電話も通じないしとんでもないことになっているところでした。

バスドライバーに空席がないか聞きに行ったときには、もちろん走っていったのですが、走ると結構距離がありフーフーいいながら、いろいろなバスに聞いているとやっと一台の大型バスに空きが見つかりました。

とりあえず、次の食事場所まで乗せていってもらい、お客様が夕食をとっている間に、フィリイプ島という島のなかでなんとか地元で空いているミニバスを2台用意して観光地まで行き、見学している間に新しいバスが到着したので、それを運転して帰って来ました。

お客様は、僕の食事もとらずに走っている姿などを見ていたので、夜の帰り道で、

「いやー、ガイドさんのおかげで助かったよー」

「本当にそうよねぇ、もしバスの故障が観光後のこんな夜だったら、真っ暗だし、お店も開いてないし、たいへんだったわねー」

「いやー、ペンギンも無事見れたし、食事も上手かったし、いやーガイドさんのおかげです、ありがとう」

なんて言われました。

本当は怒られてもよかったのに、反対にお礼をたくさんいわれて、「あ~よかった」と思ったものでした。

時を待つ心

2月26日のお話 「時を待つ心」

行き詰まる会社をみてみますと、たいていは仕事がヒマになったらムリをしてでも注文を取ろうとしています。その結果、かえって大きな損をして会社の破綻を招くことになってしまうのです。反対に、「ヒマはヒマで仕方がない。これは一時的な現象なのだから、この機会に日ごろ怠りがちだったお得意に対するサービスをしておこう」とか、「機械の手入れすべきものはしておこう」というような態度をとっている会社は、かえって時を得て発展する。そういう場合が多いように思います。

なかなかむずかしいことですが、時を得なければ休養して時を待つ、そういう心境もまた大事だと思うのです。

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なんか今の世の中を言っているようですねぇ。

どこかの工場が暇になったので、社員が掃除や機会の手入れを始めた、と言った記事を読みました。

経営者たちには頭の痛い時期で、のんびりしてはいられないとは思いますが、忙しい時にできなかった事もこういう時期にできるので、いいんじゃないかなぁと思います。

七十点以上の人間に

2月25日のお話 「七十点以上の人間に」

完全無欠な人間などあり得ないと思う。だから、お互い人間として、一つのことに成功することもあろうし、ときにはあやまちもあるだろう。それは人間としてやむを得ないというか、いわば当たり前の姿だと思う。

しかしあやまちと正しいこととを通算して、正しいことのほうが多くなるような働きなり生活を持たなければ、やはり人間として、望ましい姿とは言えないのではなかろうか。

かりに自分を点数で表わすとどうなるだろう。三十点のマイナス面はあるが、少なくともプラスの面が七十点ある、というようなところまでには到達するようお互いに努力したいものである。

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「毎日一話」のタイトルなので、毎日更新を目指していましたが、先週末もふくめて過去何回か更新しなかった事もあります。

まぁ、70点でいいかな。

でも、毎日更新している人のブログを見ると、すごいなぁと思います。

大阪城築造の秘訣

2月24日のお話 「大阪城築造の秘訣」

豊臣秀否は、あの豪壮華麗な大阪城を、わずか一年半で築造したというが、どうしてそんなことができたのか今日なお不思議に思われる。しかしその大きなな原因の一つは、築造に当たって彼は「功ある者には莫大な恩賞を与えるぞ」と約束した。そのかわり「過怠ある者は牢に入れるだけでなく、容赦なく首を斬ってしまうぞ」と宣言した。首を斬られてはかなわんから、みんな必死になって働くが、その上に莫大な恩賞が約束されているから、より一層はげみがつく。そこにあの大阪城築造の秘訣があったとも言えよう。“信賞必罰”は、昔も今も、人間の存在する限り必要なものであり、永遠の真理を喝破した貴重な教えではなかろうか。

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ちょっとしばらく更新をサボってしまいました。

と言うのは、週末に妻の父の80歳の誕生日パーティーに行ってきたのですが、なんと誕生日前の夜中に本人は足を骨折して救急車で病院に運ばれました。

なんでも夜中にトイレに行こうと思ったのですが、どこかにつまずいてこけてしまい、骨折したそうです。今まで心臓発作を3回も経験しても頑張ってきたのですが、やはり歳をとるといろんなところが弱くなってくるから気をつけないといけないですねぇ。

パーティーはその為に親戚一同が他州からも集まってしまったので、とりあえず本人欠席のまま続行しました。

奥さんが、スピーチで、「まぁあの人と結婚して、心臓発作など驚くとこが度々あったけど、一番大きな驚きを今日までとっといたみたいだわ。」なんて話していました。

道徳は「水」と同じ

2月23日のお話 「道徳は「水」と同じ」

戦後のわが国では「道徳教育」というと何か片寄ったふうに思われることが多いが、私は道徳教育は、いわば「水」と同じではないかと思う。人間は生きるためにどうしても「水」が必要である。ところがこの水に何か不純物が混じっていて、それを飲んだ人が病気になった。だからといって水を飲むことを一切否定してしまったらどうなるか。大切なことは「水」そのものの価値、効用を否定してしまうことではない。水の中の不純物を取り除くことである。

かつての道徳教育の中に誤ったところがあったからといって、道徳教育そのものを否定してしまうことは、それこそ真実を知らぬことではないか。

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努力を評価しあう

2月22日のお話 「努力を評価しあう」

販売に当たる人が、一つの商品について技術、製造の人の開発の苦心を思い、逆に技術、製造にたずさわる人は、販売する人の努力に感謝し、心をこめて製品をつくりあげる。また経理の人は一円のお金にも、それが利益となって生まれてくるまでの技術、購買、製造、販売、その他すべての部門の人の汗の結晶というものを考え、それを最大限に生かしてゆく。

というように、お互いの一つ一つの懸命な努力を、いわば目頭を熱くするような思いで理解し、それを生かしあってゆく。そして、そこに生まれた成果をお互いに喜びあっていく。そういうものがあってはじめて全体の発展も生まれてくるのではないだろうか。

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人事を尽して天命を待つ

2月21日のお話 「人事を尽して天命を待つ」

「人事を尽して天命を待つ」ということわざがある。これは全く至言で、私はいまも自分に時どきその言葉を言い聞かせている。日常いろいろめんどうな問題が起きる。だから迷いも起きるし、悲観もする、仕事にも力が入らないことがある。これは人間である以上避けられない。しかしそのとき私は、自分は是と信じてやっているのだから、あとは天命を待とう、成果は人に決めてもらおう……こういう考え方でやっている。

小さな人間の知恵でいくら考えてみても、どうにもならぬ問題がたくさんありすぎる。だから迷うのは当たり前である。そこに私は一つの諦観が必要だと思うのである。

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僕は 「Go with the flow」 という言葉が好きですが、まぁ流れに身を任せると言うか、自然に任せるという事ですが、時々違う意味でとっている人がいて、楽天家とか人任せだと思っているようです。

僕は、やる事はやったら、後は自然にゆだねる事じゃないかなぁと思います。

公憤を持つ

2月20日のお話 「公憤を持つ」

指導者たる者、いたずらに私の感情で腹を立てるということは好ましくない。しかし指導者としての公の立場において、何が正しいかを考えた上で、これは許せないということに対しては大いななる怒りを持たなくてはいけない。

だから、一国の首相は首相としての怒りを持たなくてはならないし、会社の社長は社長としての怒りを持たなくては、ほんとうに力強い経営はできないと言ってもいい。まして昨今のように日本といわず世界といわず、難局に直面し、むずかしい問題が山積している折には、指導者はすべからく私情にかられず、公のための怒りをもって事にあたることが肝要であると思う。

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公のための怒りをもっている社長はどれぐらいいるんでしょうかねぇ。
ほんの一握りかな?

最善の上にも最善がある

2月19日のお話 「最善の上にも最善がある」

会社としては、常に何事も最善と思ってやっているし、みなさんもそれに基づいて最大の努力を払っていると思います。しかし、立場をかえて、お客様の側からいうと、まだまだこう考えてほしい、こうあってほしいという希望が出るのも、また当然だと思います。

そういうことを考えてみると、ものには最善の上にさらに最善がある、限りなく上には上がある。それを一段一段、そういう訴えを聞くたびに素直にそれを聞いて、検討するということが永遠に必要ではないかと思うのです。そういう意見をよく汲み上げて、改める点があれば改める、というようにすることが必要だと思います。

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”ひとつの山を越えたら そこから下を見下ろす人もいる
向こうにそびえる はるか高い山を忘れて 今の自分に酔う人もいる”
                                     
                              長渕 剛 「顔」 より

日本式民主主義を

2月18日のお話 「日本式民主主義を」

民主主義の基本理念というものは、まことに好ましいものであり、これを取り入れ国家国民の調和ある発展繁栄をはかっていくことは、きわめて重要なことだと言えます。けれども、それは日本の伝統、国民性というものに立って行なわなくてはなりません。基本の理念は同じでも、具体的な形体は、それぞれの国民性にしたがって、さまざまでなくてはならない。いわば、アメリカにはアメリカ式民主主義、フランスにはフランス式民主主義、日本には日本式民主主義がなくてはならないと思うのです。それを日本みずからの伝統を忘れて、アメリカやフランスのようにやろうとしても、根なし草の民主主義に終わってしまうでしょう。

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今回も松下氏の話とは関係ありませんが、今年の2月から娘が学校に行き始めました。
まだ1年生の前のゼロ年生です。

学校は3時に終わるので、その後は6時まで学童保育に入れています。
昨日は理由があって僕が3時前に仕事を終わらせ娘を迎えに行きました。

夜寝る前に、「今日、一番楽しかった事はなに?」 と聞くと、
娘は、「んー、学校終わったらダディーが迎えに来てくれて、学童保育に行かなくてもよかった事。」と言ってました。

ちょっとかわいそうになりましたが、でも学童保育も毎日楽しそうに行っています。

死も生成発展

2月17日のお話 「死も生成発展」

私は、人生とは“生成発展”、つまり“日々新た”の姿であると考えています。人間が生まれ死んでいくという一つの事象は、人間の生成発展の姿なのです。生も発展なら死も発展です。

人間は、今まで、ただ本能的に死をおそれ、忌みきらい、これに耐えがたい恐怖心を抱いてきました。人情としては無理もないことと思います。

しかし、われわれは生成発展の原理にめざめ、死はおそるべきことでも、悲しむべきことでも、つらいことでもなく、むしろ生成発展の一過程にすぎないこと、万事が生長する一つの姿であることを知って、死にも厳粛な喜びを見出したいと思います。

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いつかどこかで読んだ記事を思い出しました。

昔はどこの家庭にお年寄りがいたので、おじいちゃんなり、おばあちゃんなりが亡くなった時は、孫達は「死」というものがどんなものか、人が死ぬと周りの人はどんな感じがするのか等が、自然と生活の中から感じ取れたそうです。

今は、おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に住まなかったり、行き来しなかったり、近所のお年寄りとも付き合いしなかったりで、子ども達が「死」と言うものに接する機会が少なくなったそうです。

これが全てではないですが、現在の子ども達は、「人が死んだらどうなるんだろう?」とか「死ぬとはどういう事なんだろう?」と思って、殺人行為にはしったりするのではないか、と言う記事でした。

なんかあたっているよな気がします。

最高責任者の孤独

2月16日のお話 「最高責任者の孤独」

組織の最高責任者の立場に立つと、部下はもちろん、それまで同僚として一緒に働いてきた人びとの自分に対する見方が変わってきます。自分は変わらなくとも、周りでは見方が変わり、ほんとうのことを言ってくれる親友というものは、地位が上になればなるほど少なくなるというのが現実ではないでしょうか。

そういう意味で、最高責任者は好むと好まざるとにかかわらず、心の上にいろいろなさびしさが出てきて、いわば孤独な立場になるということが言えます。

だからこそ、いわゆる声なき声というものに耳を傾ける謙虚さというものが、トップに立つ者にとってはきわめて大切だと思うのです。

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僕の昔のビジネスパートナーは、僕より10歳近く若かい人でした。

ある時、皆で飲みにいった時に、2次会だったかの後で、「若い子達は、僕が面倒みますから、社長はもうゆっくり休んで下さい。」なんて言われました。

普段はオーストラリアなので、下の名前で呼び合っているのに、いきなり「社長」なんて言ったり、僕もまだ若いと思っていたけど、「若い子達は」なんて言われると、急に歳とったように感じました。 

というか、結局、歳取ってるんだけど(笑)。

自己観照

2月15日のお話 「自己観照」

自省の強い人は、自分というものをよく知っている。つまり、自分で自分をよく見つめているのである。私はこれを“自己観照”と呼んでいるけれども、自分の心を一ペん自分の身体から取り出して、外からもう一度自分というものを見直してみる。これができる人には、自分というものが素直に私心なく理解できるわけである。

こういう人には、あやまちが非常に少ない。自分にどれほどの力があるか、自分はどれほどのことができるか、自分の適性は何か、自分の欠点はどうしたところにあるのか、というようなことが、ごく自然に、何ものにもとらわれることなく見出されてくると思うからである。

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話は変わりますが、昨日はバレンタインデーでしたね。

オーストラリアでは(西洋社会全般がそうかも知れませんが)、バレンタインデーには男性が女性にチョコや花を買います。

僕はすっかりバレンタインデーの事を忘れていて、妻から「チョコ買ってないの!?チョコじゃなくても、花とかは?」と叱られてしまいました(笑)。

容姿端麗な女性が得とか書いたからばちが当たったかな?

顔も商品

2月14日のお話 「顔も商品」

私はいままであまり容貌に注意せず、ゾンザイな点が多かった。ところがたまたま銀座のある有名な理髪店に行ったところ、そこのお店の人から次のように言われたことがあった。

「あなたは自分で自分の顔を粗末にしているが、これは商品を汚くしているのと同じだ。会社を代表するあなたがこんなことでは、会社の商品も売れません。散髪のためだけでも、東京に出てくるというような心がけでなければ、とても大を成さない」 まことにもっとも千万で、至言なる哉と大いに感心し、それ以来、多少容貌に意を用いるようにもなった。私はその人から貴重な当世哲学を教えられたのである。

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このお話は納得するのですが、よく、「人は顔じゃない、心だ」なんて言われますが、僕は生まれ持った美貌も特技の一つだと思います。

以前、ちょっと人材派遣に携わっていましたが、容姿端麗な人はやはり得したように思います。
まぁ、不謹慎な話ですが、特別なスキルのいらない仕事だとほとんど可愛い子、綺麗な子が面接に受かっていたような気がします。

ツアーガイドをしていた時もそうですが、特に新人の場合は男性より女性、可愛いガイド、綺麗なガイドの方が車内販売も成績が良かったと思います。それでも、さすがにベテランになってくると、容姿ではなくて、テクニックで販売成績を上げていました。

まぁ、おっさんガイドに、「チョコレート買いませんか?」 と言われるより、若くて可愛い子から言われた方が、「特にいらないけど、まぁひとつぐらい買ってあげようかなl」という気持ちになるのもわかりますが。。。

あまり書くと女性からクレームがでそうなので、この辺で止めときます。

一人の力が伸びずして……

2月13日のお話 「一人の力が伸びずして……」

自分は一年にどれだけ伸びているか、技術の上に、あるいは社会に対する物の考え方の上に、どれだけの成長があったか、その成長の度合をはかる機械があれば、これは簡単にわかります。しかし、一人ひとりの活動能力というか、知恵才覚というか、そういう総合の力が伸びているかどうかをはかる機械はありません。けれども、私は五%なり十%、あるいは十五%伸びた、と自分で言えるようでないといけないと思います。やはり一人ひとりが、自分の力でどれだけのことをしているかということを反省してみることが大切です。

一人ひとりの力が伸びずに社会全体の力が伸びるということはないと思うのです。

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ちょっと関係ないですが、今、オーストラリアでは、(日本もそうだと思いますが) 景気回復の政策として一般市民に補助金を出そうとしています。$300だったか$500だったか忘れましたが、出したところで、買い物をする人はいるか?貯金か家のローンに充てる人がほとんどでしょう。また、お金のある人に$500やそこら渡してもしょうがないんじゃないか、それなら個人に渡さずに、医療福祉にまわした方がいいのでは等、いろいろと言われています。

この話を皮肉ったジョークがありました。

インタビュアー 「今回の市民への補助金はどこからでますか?」

オーストラリア政府 「えー、税金からです」

インタビュアー 「じゃぁ、市民から税金を徴収しておいて、今度はその一部を返すと言うだけですか?」

オーストラリア政府 「まぁ、そうです」

インタビュアー 「そのお金で、買い物をしろと?」

オーストラリア政府 「貯金しないで、経済を助けるために消費してもらいたいですね」

インタビュアー 「じゃぁ、衣類や電化製品などを買って欲しいと?」

オーストラリア政府 「はい、そうです」

インタビュアー 「でも、ほとんどの製品はメイドインチャイナだから、
           中国の経済を助けることになりますね」

オーストラリア政府 「・・・・・・」

部下の提案を喜ぶ

2月12日のお話 「部下の提案を喜ぶ」

従業員の人びとが喜んで仕事をする姿をつくるには、上司なり先輩が、部下なり後輩の提案を喜んで受け入れるということが大切だと思います。それがいますぐには実際に用いることができないような提案であったとしても、その行為なり熱意なりは十分に受け入れる。つまり、発案をすればするほど上司が喜ぶという雰囲気が非常に大事だと思うのです。

部下の提案に対して、「いや君だめだ」と言う。また来る。「ああ君、これもだめだ」と言うようなことでは、「提案してもムダだ、やめておこう」ということになり、決まった仕事しかしなくなってしまうでしょう。それでは、進歩も向上も生まれてこないのです。

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オリンパスの北村茂雄氏は

「人の成功、不成功は、いつ、どんな時期に、どんな人と会うかだ。
そして、こちらの能力を、その人がどのように引き出してくれるかによって決まる。」

と言ったそうです。

僕は会社勤めが短かったので、能力を引き出してくれるような上司に会いませんでしたが、
刺激を受けた人には沢山あったかな。
特に、自分でビジネスをしていた時期は、パワフルな人(癖のある人も含めてですが)に沢山会いました。

国を愛する

2月11日のお話 「国を愛する」

わが国は戦後、相当立派な成長発展を遂げてきましたが、不思議に愛国心という言葉がお互いの口から出ません。ときたま出ても、あまり歓迎されない状態です。愛国心というものは、国を愛するあまりに他の国と戦いをすることになるという人もあります。しかし決してそうではないと思います。国を愛すれば愛するほど、隣人と仲よくしていこう、友好を結んでいこう、ということになるだろうと思うのです。お互いが自分を愛するように国を愛し、隣人を愛す、そうすることによってそこに自分の幸せも築かれていくと思うのです。そのような姿をお互いに盛りあげていくことが、国民としての大きな使命ではないでしょうか。

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以前にオーストラリアは移民が多いと書きましたが、移民の人たちはオーストラリア人としての誇りも持っていますが、自分の生まれた国の誇りをもっと持っているような気がします。

最近の日本人はどうなんだろう?

同行二人

2月10日のお話 「同行二人」

弘法大師さんが開かれた高野山にある霊場に詣でる人びとの菅笠には、みな一様に“同行二人”とかいてある。どこにいようと、どこに行こうと、自分は一人ぼっちではない、いつもお大師さまと二人という意味である。

つまり、これら信仰三昧の人びとの心の中には、いまもなお大師は生き生きと存在しておられるのである。

もちろん、大師の生身の身体が、そのままここにあるというわけではない。しかし、大師はいまもなおここにおわすと感じること、また感じようとつとめるところに、大師の教えが永遠に生きてくることになる。真理は永遠に生きるというのは、こんな姿を言うのであろうか。

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気功の練習をしていた頃、先生から 「目を閉じた時に、私を思い浮かべて下さい。 世界中どこにいてもパワーが届きます。」 と話してくれました。

もう最近は練習していないので、先生スミマセン。

一歩一歩の尊さ

2月9日のお話 「一歩一歩の尊さ」

仕事はいくらでもある。あれも作りたい、これもこしらえたい、こんなものがあれば便利だ、あんなものもできるだろう、と次から次へと考える。そのためには人が欲しい、資金が欲しいと願うことには際限がないが、一歩一歩進むよりほかに到達する道があろうか。それは絶対にない。やはり、一歩一歩のつながり以外に道はない。坦々たる大道を一歩一歩歩んでゆけばそれでよい。策略も政略も何もいらない。一を二とし、二を三として一歩一歩進んでゆけばついには彼岸に到達するだろう。欲しいと願う人も一人増え、また一人増えてついには万と数えられよう。一歩一歩の尊さをしみじみ味わわねばならぬ。

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やはり一歩一歩進むよりないみたいですね。


朝鍛夕練

千里の道もひと足ずつはこぶなり


でも密かに早い方法はないかなぁと探してたりもするけど。。。

魂を加えた価格

2月8日のお話 「魂を加えた価格」

価格というものは、サービスとか配達とかいろいろな便宜だとか、そういうものを総合した価値判断によって決めるべきで、単によそがいくらだからウチはいくらにするというようなことでは、ほんとうの商売はできないと思います。

たとえば、よそで一万円のものを、場合によっては一万五百円で売ります。するとお客さんが“なぜよそより高いのか”と聞かれます。そのときに“同じ製品ですが、私の方はお添え物があるのです”“何を添えてくれるのか”“私どもの魂を添えるのです”と申し上げることができるかどうか。そのように、お店の魂をプラスして価格を決定することがお互いの商売には必要だと思うのですが、いかがでしょうか。

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他の店より高くして、”魂を添えています”と言っても、今の時代は売れるかなぁ?

2,3日前の話の、清掃会社のAさんはそう言う事かな?

平穏無事な日の体験

2月7日のお話 「平穏無事な日の体験」

体験というものは、失敗なり成功なり何か事があったときだけに得られる、というものでしょうか。決してそうではないと思います。平穏無事の一日が終わったとき、自分がきょう一日やったことは、果たして成功だったか失敗だったかを心して考えてみると、あれはちょっと失敗だったな、もっといい方法があったのではないか、というようなことが必ずあると思います。それについて思いをめぐらせば、これはもう立派な体験と言えるのではないでしょうか。

形の上での体験だけでなく、日々お互いがくりかえしている目にみえないささいなことも、みずからの体験として刻々に積み重ねていく姿勢が大切だと思うのです。

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まぁ、僕の場合は寝る前に時々反省したりその日の事を思い出したりしますが、良いのか悪いのか、寝たら全部忘れてしまう事がしょっちゅうです(笑)。

正しい国家意識を

2月6日のお話 「正しい国家意識を」

昨今の国際情勢は、一方で“世界は一つ“と言いつつも、その一方で各国が過度の国家意識に立ち、自国の利害を優先してしまうため、対立や紛争が一向に絶えない。

それでは日本はどうかというと、反対に国家意識がきわめて薄いため、かえって問題が起こっているようである。個人でも正しい自己意識、人生観を生み出し、自主性を持って生きていってこそ、そこにはじめて他の人びとに対しても、おごらず、へつらわず、仲よくつき合っていけるわけである。国でも同じである。国民が正しい国家意識を持ち、他の国ぐにと交流していくことが大切であろう。“過ぎたる”もいけないが、“及ばざる”もいけない。

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今日スタッフとお昼を食べていたのですが、一人は親がギリシャ人、一人はスリランカからの移民、一人は中国からの移民、一人はシベリアからの移民、そして僕が日本からの移民と、まったく国際色豊かです。 アメリカもそうですが、さすが移民の国だなぁと思って食べていました。
なんかどれがオーストラリアの文化なのかわからなくなる時があります。

日本は外国の物や文化を沢山取り入れていますが、やはり日本文化を保ってほしいなぁと外から見ていて思います。 日本の人口がオーストラリアみたいに、4人に1人が移民ということになったらどうなるのかなぁ。 日本はやっぱり日本人がいるから日本であるので、あまり移民を受け入れないでほしいなぁと勝手に思っています。

喜ばれる仕事

2月5日のお話 「喜ばれる仕事」

仕事というものは、人びとに喜びを与え、世の向上、発展を約束するものだと考えれば、勇気凜々として進めることができると思います。

たとえば、麻雀の道具をつくっている会社の人が、麻雀をするのはよくないことだ、と思っていたら、その会社の経営はうまくいかないでしょう。昼のあいだ一生懸命働いている人にとって、晩にする一時間の麻雀は気分転換になり、喜びになるだろう、その喜びのためにわれわれは麻雀の道具をつくって売っているのだと思ってこそ、堂々とその仕事をやっていけるわけです。そしてその上に、一人ひとりが喜びをもって仕事を進めていけば、会社は自然に成功するはずだと思います。

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ある本に書いてあったのですが、ある工場の清掃を外部の清掃会社に頼んでいたのですが、そこの清掃スタッフのAさんは、応接室にある花を取り替えた後、捨てるのではなく、まだ程度のいい花を選んで、トイレの一輪挿しにさしていたそうです。

それに気づいた工場長は、「彼女があの会社にいる限りは」と、いくら他社が営業にきても、清掃会社を変えることはなかったそうです。

このちょっとした差がなければ、ただの金儲けの仕事や商品になってしまうので、気をつけましょう、という事でした。

企業は社会の公器

2月4日のお話 「企業は社会の公器」

一般に、企業の目的は利益の追求にあると言われる。たしかに利益は健全な事業経営を行なう上で欠かすことができない。しかし、それ自体が究極の目的かというと、そうではない。根本はその事業を通じて共同生活の向上をはかることであって、その根本の使命を遂行していく上で利益が大切になってくるのである。

そういう意味で、事業経営は本質的には私の事ではなく、公事であり、企業は社会の公器なのである。だから、たとえ個人の企業であろうと、私の立場で考えるのでなく、常に共同生活にプラスになるかマイナスになるかという観点からものを考え、判断しなければならないと思うのである。

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公務員だともっと公の立場になって物を考えないといけないと思いますが、オーストラリアでは、というか僕の周りにいる公務員にかぎっては、自分の立場しか考えてない人ばっかりに思います。
なんか税金の無駄遣いじゃない?と思うこともしょっちゅうあります。

新しく政権が変わって、ポリシーも変わってきつつあるので、ちょっとはましになるかな?

人間道に立つ

2月3日のお話 「人間道に立つ」

われわれ人間は、相寄って共同生活を送っています。その共同生活をうまく運ぶには、どうすればよいのか。みんなが生かされる道を探さねばなりません。

お釈迦さまは「縁なき衆生は度し難し」と言っておられます。しかし、なろうことならそうした諦観を超え、お互いを“有縁”の輪で結びあわせることができないものかと思います。そのためには、お互いのあるがままの姿を認めつつ、全体として調和、共栄していくことを考えていかなければなりません。それが人間としての道、すなわち“人間道”というものです。お互いに“人間道”に立った生成発展の大道を、衆知を集めて力強く歩みたいものです。

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家の裏に住んでいる人との仲が、ある時期からうまくいっていません。

お互い大人なので、それなりに挨拶とかはしますが、なんか最初の頃とは雰囲気が違い、それをお互いにわかっていて、ちょっとギクシャクした感じです。

僕は、向こうの方からおかしい事言い出すからだよまったく、と思っていたのですが、例えそうだとしても、相手は相手、僕は僕で同じ人物じゃないから、まぁ違ってあたりまえですね。

もっと心を大きくして、素直に相手を受け入れないとなぁと思っていますが、なかなかねぇ。

まず好きになる

2月2日のお話 「まず好きになる」

「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますが、これは商売についてもあてはまります。商売を繁栄させたいと思えば、まず商売にみずから興味を持ち、好きになることです。好きになれば努力することが苦にならない。むしろ楽しくなる。そしてただお義理や飯のタネにするために事を運ぶというのではなく、誠心誠意それに打ち込む。そこにこそ繁栄への一つの道があると思います。

適材適所ということが言われますが、私は、適材適所とはそうした商売の好きな人が商売に当たるということであって、そうなれば千人が千人とも望みを達することも決して難事ではないと思うのです。

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オフィスの机の上に、政府支給の日めくりカレンダーがあるのですが、今日は、

「もっとも幸せな人は、必ずしも、もっともいい物を手に入れているわけではない。
彼らは、もっともいい物を自分たちで創っているだけだ。」

とありました。

天は一物を与える

2月1日のお話 「天は一物を与える」

この世に百パーセントの不幸というものはない。五十パーセントの不幸はあるけれども、半面そこに五十パーセントの幸せがあるわけだ。人間はそれに気がつかなければいけない。とかく人間の感情というものは、うまくいけば有頂天になるが、悪くなったら悲観する。これは人間の一つの弱い面だが、それをなるべく少なくして、いつの場合でもたんたんとやる。信念を持っていつも希望を失わないでやることだ。

「天は二物を与えず」と言うが、逆に「なるほど、天は二物を与えないが、しかし一物は与えてくれる」ということが言えると思う。その与えられた一つのものを、大事にして育て上げることである。

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二物を持っている人もよく見るけどなぁ。

ん~、でも一物しか持って無くても、ゼロよりはいいか。
ポジティブに、考えようポジティブに。

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