毎日一話

宇宙は僕の為にまわっている - そしてあなたはそれを手伝っている - 宇宙はあなたの為にもまわっている - そして僕はそれを手伝っている     Go with the flow.......

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プロフィール

川田 倫久

Author:川田 倫久
オーストラリアに永住し、ずっと観光業をしていたが、中年のオッサンになってから、IT関係に転職。





道は無限にある

3月31日のお話し 「道は無限にある」

お互い人間というものは、常にみずから新しいものをよび起こしつつ、なすべきことをなしてゆくという態度を忘れてはならないと思います。お互いが、日々の生活、仕事の上において、そういう心構えを持ち続けている限り、一年前と今日の姿にはおのずとそこに変化が生まれてくるでしょうし、また一年先、五年先にはさらに新たな生活の姿、仕事の進め方が生まれ、個人にしろ事業にしろ、そこに大きな進歩向上がみられるでしょう。

大切なことは、そういうことを強く感じて、熱意をもって事に当たるという姿勢だと思います。そうすればまさに“道は無限にある”という感じがします。

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子どもの誕生日が来る時にいつも、「成長したなぁ」と思いますが、
それと同時に、「自分は成長してるかなぁ。年とってるだけのような気が。」と思ってしまいます。

でも、やっぱり成長はしているみたいですね。 1年前と比べると、ずいぶんと知らなかった事にであったような気がします。

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引き下がる決断

3月30日のお話 「引き下がる決断」

やるべきときにやる、引くべきときに引く、いわゆるこの出処進退ということが、人間として、とくに経営者として一番大事なことではないでしょうか。

たとえば、ある一つの仕事がもう一つうまくいかず、やめた方がいいとなった場合、そこにはやはり何らかの犠性が伴います。世間からもいろいろな批判を受けるでしょう。また信用も失墜するかもわかりません。しかしそれを惜しんでいてはいけない。惜しんでいるとなかなかやめられない。やはりそういうものにとらわれず、やめるべきものはやめるんだという引き下がる決断をすることが経営者として大切だと思うのです。

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僕は、初めて海外に出た時に、半年ほどカジノにはまった時期があるのですが、
負けてるときは、「ん~、元取るまで頑張ろう」と思って、結局もっと負けてしまうし、
勝っているときは、「よ~し!もうちょっと儲けてからやめようかな」と思って、結局負けてしまうし、
でどうしても負けの方が多かったかなぁ。

ある人に聞くと、プロのギャンブラーは、通算で勝ちが51%で負けが49%なのだそうです。
負けた時はさっさと辞めるし、勝ったときもさっさと勝ち逃げするそうです。
まぁ、1%の金額は大きいんでしょうけど。

いずれにしても、引き際が肝心ということですね。

給料は社会奉仕の報酬

3月29日のお話 「給料は社会奉仕の報酬」

給料というものは、自分の生活を営む上で当然必要であるから、働くことの一つの目的ではあろうが、もっと大事な目的を忘れてはならないと思う。

それは、自分の仕事を通じて、あるいはそのつとめた会社、商店を通じて、社会に尽していくということである。いわば職業人として、産業人としての使命をよりよく遂行していくことである。大きな意味で言えば、人間としての使命を果たしていくことにも通じると思う。

だから見方を変えれば、給料というものは、そのように仕事を通じて社会に奉仕貢献していくことの報酬として与えられるものとも考えられよう。

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じゃぁ、給料が安いと思っている人は、社会奉仕が足りない?

身を捨てる度胸

3月28日のお話 「身を捨てる度胸」

人生というものには、いろいろな問題があります。しかし、それらのことも過ぎ去ってみると、あのときに迷わないでやってほんとうによかったな、というような場合が多いのです。そこが大事なところだと思います。ある場合には迷うこともあるでしょう。しかし、しょせん迷ってもお互い自分の知恵裁量というものは、ほんとうは小さいものです。だから、「これはもう仕方がない。ここまできたのだからこれ以上進んで結果がうまくいかなくても、それは運命だ」と度胸を決めてしまう。そうした場合には、案外、困難だと思っていたことがスムーズにいって、むしろ非常によい結果を生む、ということにもなるのではないかと思うのです。

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夕べは義理の父のお見舞いに行くのに、5時間ぐらいの長距離ドライブをしました。

オーストラリアに来てからは、国が広いので長距離ドライブの機会が多く、特にメルボルンでガイドをしていた時なんかは、ミニバスを日帰りで最高600キロちかくまで運転しなくてはなりません。 しかも、お客様を乗せているので、道中はマイクでしゃべりながらの運転なので結構疲れます。 ある時ゴールデンウィークで忙しくなって、4日間連続で一日600キロ近く運転したときはさすがにまいってしまいました。

もう、一日600キロも走ることは少ないと思いますが、少々の距離はなんでもなくなったので、人間はなれればすごいなぁと自分で思っています。

今まで自分に特技はないなぁと思っていましたが、長距離ドライブかもしれないですねぇ。

百年の計を立てる

3月27日のお話 「百年の計を立てる」

終戦後、日本が大きな経済発展を遂げてきたということは確かに事実ですが、それが果たして真の経済発展であるかどうかというと、いろいろ疑問があります。少なくとも、二十年なり三十年前に、二十年後、三十年後の日本をこういう状態に持っていくんだという計画を立てて取り組んだのではなく、いわば無我夢中で働き、ハッと気がついたら経済大国になっていた、というのが実情だという感じがします。

しかしここへきて、今後ともこういう状態ではいけない。本当に永遠に通じるような正しい哲理哲学のもとに、大きな理念を打ち立て、そして百年、二百年の計を立てる時期にいまはきていると思います。

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無我夢中で働いて、気づけば経済大国になっていたというのは、それはそれですごい事だと思います。

オーストラリアなんかは、無我夢中でもないし、何十年計画なんてないだろうし、まぁのんびりとしています。 それでも、過去10年以上は景気がどんどんよくなって、物価もどんどん上がってきましたが、ここにきて大変そうです。 特に、アジアへの輸出額が今年から極端に減りそうなので、ここ数年はダメかなぁ。 

敏速に対応してないところが結構あるような気がします。 例えば、オーストラリアにはアマゾンがないので、アメリカのサイトから購入するのですが、今までは米ドルが強かったので、オーストラリアのお店でで購入してもアマゾンから購入しても同じぐらいでした。

でも、1年近く前から、米ドルが豪ドルに対して下がって来たので、アマゾンで購入したほうが総量を入れても安くなっています。 約半額です。 オーストラリアのネットショップやお店で買う意味がないのですが、いまだに値段は変わっていません。 気づいてないのか、気にしないのかわかりませんが。。。

見えざる契約

3月26日のお話 「見えざる契約」

今日、何千万人という需要者の方がたが、生活を豊かにしていくために物が欲しいというとき、それが現実に手に入らなければ、非常に不自由な思いをせざるを得ないでしょう。私たちはあらかじめそういうことを予期して、万般の用意をしておかねばなりません。それはいわば、私たちと大衆との見えざる契約だと思うのです。別に契約書があるわけではありませんが、私たちはこの見えざる契約、声なき契約をよく自覚する必要があります。そして、その契約を遂行していくために、常日ごろから万全の用意をしておくことが、私たち産業人に課せられた、きわめて大きな義務であり責任だと思うのです。

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物作りをしている人たちは、止まったら終わりだと思いますが、新しいものを作りすぎてもしょうがないように思うけどなぁ。 次々と新製品が出てくるけど、使わない機能がたくさんついた物もあるし、小型化しすぎて使い勝手がよくない物もたくさんあると思うし。

でも、企業にとっては開発をストップしたら、他の誰かが開発するので、やめるわけにもいかないだろうなぁ。

権限の委譲

3月25日のお話 「権限の委譲」

一人の人間の力というものはどうしても限りがある。その限りある力以上のことをしたり、させたりすれば往々にして失敗する。力にあった適正な範囲で事を行なうのが一番よいのであって、その事が力に余るようであれば、それを分割して何人かの力によって行なわせることが望ましい。

指導者としては、仕事を適切な大きさに分け、その分野については責任と権限を委譲して、各人の力に応じた仕事を徹底してしてもらうことを考えなくてはならないと思う。それぞれの責任範囲をはっきりさせることによって、仕事にムダがなくなり、能率もあがるようになるのである。

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どれだけの仕事が適正かどうかは判断が難しいと思うので、(それを判断するのがマネジメントかもしれませんが) やりたい分だけやってもらうのはどうでしょうか。

そんな事したら収拾がつかなくなるかな?

協調性を持つ

3月24日のお話 「協調性を持つ」

みなさんが、それぞれの会社の社員である以上は、多数の同僚と相談して仕事をしなければならないということになりますから、人の立場を重んじない、いわゆる協調性の少ない人は困ると思うのです。

自分はこう思うが、あの人はああ思うのだな、それも一つの考え方だろうな、というように人の言に耳を傾ける、というところに協調性が成り立つのです。もちろん、自己というものを卑屈にして協調せよというのではありません。けれども自己にとらわれた主張は協調性を欠きます。この点は、どのような立場にいようと考えなければならない、非常に大事な問題ではないかと思います。

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現在働いている部署の部長は、普段は良くしゃべって気さくなのですが、厳しいところもあり、時々あまり必要でないような事も要求して来ることがあります。

必要が無いことはないけど、重要じゃない要求がくると、みんなは、「あー、またかぁ。まぁ、彼が言うんだから仕方なくやるかぁ。」 というような調子で、面倒くさがりながらやります。

これも協調性というのかなぁ? それより、いつも一方的でなく、向こうが僕達に協調性を見せて欲しいなぁ。

即断即行

3月23日のお話 「即断即行」

昔から「兵は神速を貴ぶ」という言葉がある。一瞬の勝機を的確につかむかどうかに勝敗の帰趨がかかっている場合がある。そういうときにいたずらに躊躇逡巡していたのでは機会は永遠に去ってしまう。だから大将たる者は、即断、即行ということがきわめて大事である。

これは何も戦にかぎらず、一国の運営、会社でも同じである。情勢は刻々にうつり変わっていく。だから一日の遅れが一年の遅れを生むというような場合も少なくない。もちろんきわめて慎重に時間をかけて事を運ぶことが必要な場合もある。しかし大事にあたって即断、即行できる見識と機敏な実行力は指導者に不可欠の要件だと言えよう。

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仕事のできる人は、行動が早いと思います。
というか行動が早いから仕事ができるのかな。

僕の尊敬する知り合いのブログ「オージーの風」 でも同じような事が書いてありました。

迷いと判断

3月22日のお話 「迷いと判断」

私は極小の商売から今日までの間、たとえば“新しい仕事をすべきか否か”を決める場合、全部自分一人で決断してきたかというと、決してそうではありません。自分はやりたいと思うけれども、それだけの力があるかどうか自分で判断がつかないというときも実際ありました。

そういうときにはどうしたかというと、第三者にすっかり打ち明けて「いまこういうことで迷っているんだ、君ならどう思うか」と尋ねました。「それは松下君、あかんで」「きみの力やったらやれる」といろいろ言ってくれる。迷ったときには、私は得心のいくまで他人の意見を聞いてみるということをやりながらだんだん大きくなってきたのです。

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でも最終的に決定するのは、結局自分自身しかいないですねよねぇ。
決定した事に責任とるのも、やっぱり自分だしねぇ。

春を楽しむ心

3月21日のお話 「春を楽しむ心」

草木は芽を出し、蕾はほころびて伸び伸びと成長する春の季節。春はまさに万物成長のときと言えるでしょう。

私たちもこんな春を迎えて、大いにこれを楽しみ、大いに成長していかなければならないと思います。春を楽しむ心は、人生を楽しむ心に通じます。長い人生には、ときには不愉快なこともあり、面白くないときもありますが、春を楽しむように人生を楽しむ心があるならば、やがてまた春のそよ風のように、心もやわらいで、生き甲斐も感じられてきます。そして野山の樹々が一年一年と年輪を加えていく如く、お互いの心も、去年よりも今年、今年よりも来年と一年一年成長していくと思うのです。

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オーストラリアはこれから秋です。 北のケアンズやダーウィンなんかは、秋や冬でも暖かいですが、キャンベラは冬は霜がおりるくらい寒くなるので、早く春がこないかなぁとすでに待ち遠しいです。

まず自分から

3月20日のお話 「まず自分から」

反省を求める者には反省を求める、また自分たちにおいて反省すべき点があれば、大いに反省して協力体制をとってゆく。そういうことを誰かが言い出し、誰かがやらねばならないのに、誰もが非常な安易感に浸ってしまって、成りゆきまかせ、他人まかせになってしまっている。それが日本の現状でしょう。これでは物事は好転していきません。きょう一日が過ぎれば、あすはあすの風が吹くだろうというような、事なかれ主義はいつか行き詰まります。

お互いに全体として考え直そうという行き方を“誰か”ではなく、まず自分が生み出さなくてはならないことを深く自覚すべきだと思うのです。

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お話と関係ないニュース。

昨日ニュースを見ていたら、あるスウェーデンの伯爵夫人が、夫から離婚されそうになったのですが、告訴しているそうです。 

彼女は元投資家ですが、2002年に結婚してから仕事をやめたので、離婚されると年間6千3百万ドルの生活費が払えないからだそうです。 金額の中には、いくつかの住居費やリムジン、衣類、食費、旅費、コスメティックなどの費用が入っているそうです。 もしそれらをカバーしてくれるのなら離婚しても言いと、言っています。

なに考えてるんでしょうねぇ。

日本の資源は人

3月19日のお話 「日本の資源は人」

日本の資源は人そのものです。いま日本から人を五千万人も取ったら、日本はまいってしまいます。人が多いのは資源の多い姿です。しかも、普通の資源であったらじっとしていますが、人間は働きます。一方で費やすという点もありますけれど、やはりそれ以上のものをつくり出すものを持っています。われわれは、この人間が資源であるということをはっきりと認織することが大事だと思います。また人間という無限の資源を持っているのだということをもっと教えなければいけないと思います。

もちろん人が多いというだけではダメで、その質をよくすることが必要なのは言うまでもありません。

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2008年の中国オリンピックでは、オーストラリアチームは合計14個の金メダルを獲りました。
一位は中国の51個、二位は米国36個、三位は英国19個で日本は9個でした。

メダルの総合数は、オーストラリア46個、日本28個です。 オーストラリアは日本の倍近く獲得していますが、人口を見ると、オーストラリアが約2千万人で、日本は1.3億人です。

金メダルの獲得比率は、オーストラリアは日本の9倍以上獲得しているそうです。

スポーツに関しては、圧倒的に資源の質が良い事になりますが、企業でみてみると、多分圧倒的に日本の方が質がよさそうですね。

まぁ、これほどオーストラリアはスポーツが盛んなんだと思います。 子供のころからスポーツをしている子が圧倒的に多いような気がします。 ゴルフも安いし、がきんちょでもコースにでています。

オリンピックではいつも水泳が強いですね。 オーストラリアも一応海に囲まれた島国と言うのが関係してるかなぁ?

年功序列と抜擢

3月18日のお話 「年功序列と抜擢」

それぞれ長短のある年功序列、抜擢をどのように行なっていくかということは、それぞれの企業の実態、情況により一概には言えないと思うが、私自身について言えば、だいたい年功序列七十%、抜擢三十%というような感じでやってきた。これが反対に年功序列三十%、抜擢七十%になると非常に面白いと思うのだが、それはやはりまだ先のことで、今日の日本においては、年功序列を主体としつつ、そこに適度に抜擢を加味していくことが無理のない姿だと思う。

しかし考えてみれば、抜擢の何十%かは賭けである。だが、ときにはあえてその冒険をおかす勇気を持つことが、企業発展の上で求められている時代であると思う。

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外国ではよく実力さえあれば上にいける、と考えられているようですし、実際に一般企業では年功序列よりも能力によって上に上がっていくようです。 実際には上にあがると言うか、自分からポジションに応募して勝ち取るという感じが多いかもしれません。

国家公務員はどうかと言うと、長い年数働いていると自然に上に上がって行くことはまだあるようです。 ただ、マネジメントクラスにはやはり実力がないと上がれないようです。 また、実力のある人は、チャンスがあれば短い期間でドンドン出世する人もいます。

どこでもそうだと思いますが、実力よりも誰を良く知っているか、コネがあるかどうか等も結構影響している事もあるようですが。。。

修養に場所を選ぶな

3月17日のお話 「修養に場所を選ぶな」

人は若い間の心がけのいかんにより、後にずいふん差の生ずるものである。もし若い時代に自己実力の養成に励まず、修養に努めなかったならば、必ず後年、後悔するときがくると思う。

しかるに若い人の間で「この仕事は自分の性分に合わない、あの主任の下ではどうも働き甲斐がない」と、不足をもらす人がある。これは自己中心の物の考え方の弊害であろう。

真に自己の適所を見出すまでには、いろいろな経験を積まなければならない。また性格、意見の異なった指導者の下で自己を磨くことによってこそ、かえってよりよく修養が得られるものであることを、深く知らなければならないと思う。

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と、こういう話を読むと、「そうだなぁ、がんばらなくてはなぁ」と思うのですが、つい楽なほう楽なほうへと考えが行ってしまいます。

やっぱり人間はなかなか強くなれないですねぇ。

だから、紙に書いたことを壁に貼ったり、手帳に書いたりとかして、潜在意識に植えつけようと色んな事をやって、繰り返し繰り返し自分に言い聞かせいとダメなんだろうなぁ。

六十%の可能性があれば

3月16日のお話 「六十%の可能性があれば」

ある仕事をある人にしてもらう場合、その人が適任かどうかということがきわめて重要ですが、実際には、それはなかなかわかりません。

それではどうするかということですが、この人だったらまあ六十%ぐらいはいけそうだなと思ったら、もう適任者として決めてしまうのです。八十点までの人を求めるということも不可能ではないでしょうが、しかしそれには非常に時間と手数がかかります。だから、これならまあ六十点ぐらいはあるなと思ったらもう、「君大いにそれをやってくれ」というようにするわけです。するとたいていうまくいくのです。全部が全部ではありませんが、中には百点満点ということもあります。

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僕もある仕事を人にお願いするのには、まぁ、大丈夫かなぁと思ってお願いしてきました。
それで、まぁ大丈夫でした。

新しいスタッフを面接で採用するかどうか決めるときは、第一印象の雰囲気で、「まぁ、大丈夫かな」と思った人に決めてきました。 いい加減といえばいい加減なんですが、失敗したと思った事はなかったですね。

でも本当は、ちゃんとした採用の仕方があるんだろうなぁとは思います。

会社の力を見きわめる

3月15日のお話 「会社の力を見きわめる」

私は常に自分の会社の自己検討ということをしています。要するに新しい一つの仕事を始めるにしても、それは考えのうちに入れておくだけですぐには手をつけません。きょう手をつけるのは、きょうの自分の食欲に合ったものだけです。それ以上はいくらおいしくても食べません。それが自分の腹であれば、うまく調節できますが、事業欲は食べすぎても調節するものがありませんから、ただ自分の良識によって調節するしか方法がありません。だから常に自己反省をして、あわせて会社の総合力を検討し、それにふさわしい仕事をしていこうと心がけています。そこを見きわめることが、経営者として、非常に大事なことだと思います。

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僕はいまだに自分の腹の調節もうまくできないなぁ。

おいしいもの、好きなものは、ついつい食べ過ぎてしまいます。

子どもみたいですが、カレーが好きなので、いつも必ず食べ過ぎてしまって、しばらく動けなくなってしまいます(笑)。

人間疎外は人間が生む

3月14日のお話 「人間疎外は人間が生む」

現代文明における、科学技術の発達によって人間が軽視され、忘れられているということが問題になっています。そういった人間疎外をなくすためには、常に人間の幸せということが前提にされなくてはなりません。「なぜこういう新しい機械を造るか」「それは人間の幸せのためである」ということがいつも考えられ、それに基づく配慮がなされるならば、どんな機械が生み出され使われても人間疎外は起こらないと思います。

現実に人間疎外のような観を呈しているのは、機械が人間を疎外しているのではなく、人間自身が人間を大事にせず、人間疎外を生んでいるものではないでしょうか。

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コンピューターのマウスを、頭の脳波かなんかを使って動かす技術が開発された事を、、昨年だったかその前年だったかに読んだことがあります。

そのうち、頭で考えていることが、そのまま画面にでるようになるかもしれないですね。 もしかしたら、相手の考えていることが、自分の携帯電話で探知できるようにもなるかもしれないなぁ。

そうしたら、もう、うそつけなくりますねぇ。 というか、会話しなくても携帯の画面見てれば意思が通じ合うようになりますねぇ。 そしてそのうち、テレパシーのような装置ができれば会話がなくなってしまうかも。

もしかしたら、全世界の共通語ができるかもしれません。 いや、宇宙人とも話せるようになる宇宙語ができるかもなぁ。

ん~、その時まで生き延びていたいなぁ。

よしみを通じて

3月13日のお話 「よしみを通じて」

最近は商売の上での競争が大変激しくなり、同業者どうしでも、ともすればお互いを競争相手とばかり考えているようです。もちろん競争意織は必要でしょうが、考えてみれば、誰も争うために商売をしているわけではありません。

ですから、近所に新しく同業者のお店ができたからといって、目にカドを立てるのでなく、おおらかに迎える。新しいお店の方も、先輩に対し謙虚な気持でいわば“仁義”をきる。そういう好もしい姿は、お客さまのお店全体に対する信用を高めることになるでしょう。だから一方で適正な競争をしつつも、同じ道にたずさわるお店どうし、お互いによしみを通じていくことが大切だと思うのです。

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オーストラリアの日本人旅行業界は、本社のあるシドニーへ行くと、結構同業他社どうしが競争していますが、各都市の支店へ行くと、みんな仲良くやっているようです。 ましてや、第一線で働いているツアーガイドさん達は、違う会社に所属していてもお互いに助け合いながら仲良く仕事をやるのが暗黙の了解のようです。

日本はどうかわかりませんが、オーストラリアらしくていいなぁと思って見ていました。

得心がいく仕事を

3月12日のお話 「得心がいく仕事を」

私たちが仕事なり商売を進めていく上で、いいかげんな妥協をしない、言いかえれば自分に得心がいくまでは仕事を進めない、ということが非常に大事ではないかと思います。たとえば、かりにある品物に大量の注文があったとします。そういう場合に、ともすれば、あとで注文が取れなくては困るからというので、つい安易に妥協しがちになります。けれども、そのようなときに往々にして失敗があるわけです。

ですから、いかなる人の注文であっても自分が得心しない仕事は進めないという基本の考えをしっかり持たないと、仕事が大きくなり扱う品物が多くなるにつれて収拾がつかなくなってしまいかねないと思うのです。

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今働いているチームは、10ヶ月ほど前に編成したもので、今までは省内へのチームの紹介件営業をしてきました。 一人のチームリーダーは、がんがん仕事を取って来たいのですが、もう一人のチームリーダーは、自分達のできる範囲での仕事しかとらない方針でした。 

まぁ、結果的には、やはり出来る範囲にとめておいて良かったです。 最初のプロジェクトが多すぎると、チームメンバーが勉強しながらプロジェクトを進めていく時間がなかったように思います。 

でもこれからは、メンバー全員が沢山プロジェクトをかかえて、経験を積みたいと思っているのですが、多すぎるとやっぱり、手抜きがでてきてしまうかなぁ。

塩の辛さはなめてみて……

3月11日のお話 「塩の辛さはなめてみて……」

たとえば水泳の先生が、三年間講義をしたとします。それでその講義を受けた人がすぐ、泳げるかといいますと、必ずしも泳げないと思うのです。

また、塩の辛さというものでも、塩をなめさせることをしないで、塩は辛いぞ、と言ってもわからないでしょう。塩の辛さはなめてみてはじめて、ああこれが塩の辛さやな、とわかるわけです。

処世のコツとでも申しますか、お互いの人生において大切な事柄を会得するということも、事を行なって、そのやったことを、仔細に考え検討してゆくところから、はじめて可能になるのではないかと私は思います。

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経験してみても、まだわからない事が多いのに、なにもしないのではもっとわかりませんよねぇ。

考えてばかりいないで、先ず取り組んでみるのが一番かな。

日本の伝統精神

3月10日のお話 「日本の伝統精神」

私は日本の伝統精神はきわめてすぐれたものだと思います。ではその伝統精神とは何か。

その一つは「和を以って貴し」とする平和愛好の精神です。一三五〇年も前に、この「和」の精神が聖徳太子によって掲げられています。

第二は「衆知を以って事を決す」という、つまり民主主義です。古事記にも八百万の神々が相談して事を決したとあります。日本は真の民主主義の本家本元だと言えるでしょう。

第三は「主座を保つ」。古来日本人は常に主座を失わずに外来のものを消化吸収し、日本化してきました。この和、衆知、主座という三つの柱を守っていくことは、今後においても大切なのではないでしょうか。

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最近は、「主座」を保ってないんじゃないかなぁと思います。

外国の物を吸収するのはいいのですが、なんか変なところだけを勝手に、都合のいいように取り入れているような感じがします。 まぁ、オーストラリアも似たようなもんですね。 特にアメリカ文化は沢山入って来ているように思います。 

そう言えば、「日本の伝統精神」というタイトルで思い出しましたが、日本に住んだことがある知り合いから、なぜ日本では結婚式は神道で、葬式は仏教なのか、と聞かれた事があります。

まぁ、お寺の人は結婚式も仏式でやると思うし、神社に生まれた人は葬式も神社でやるとは思うけど、一般的には結婚式は神道や、キリスト教会でやったりして、葬式はやっぱりお寺でやる人が多いしなぁ、なんでかなぁ、伝統ではないけど昔から寺と神社と両方いくもんなぁ、なんて考え込んでしまいました。

なんででしょうねぇ?

確か、親鸞聖人は、「阿弥陀仏の本願を信じるのがよい。 お釈迦様の教えにも、ずべての神仏の元は、阿弥陀仏を信じることにある、と言っておられる。 だから仏教徒でも神宮へお参りしても問題ない。」 と言ってたと、どこかで読んだことがあります。

という事は、神も仏も基本的には一緒ということかな? それとも親鸞のかってな解釈かなぁ。

三日の手伝い

3月9日のお話 「三日の手伝い」

「三日の手伝い」という言葉があります。たとえ三日間の手伝い仕事であっても、その仕事に一生の仕事のような心構えで真剣に立ち向うならば、そこから必ず大きなものを得ることができる、ということです。そうしてこそあらゆる場合に直面しても動じない精神が身につくということでしょう。

そう言うと「本業についたらもちろん一生懸命に努力する」と言う人がいるかもしれません。しかし、私のこれまでの体験から言うと、現在与えられた、いまの仕事に打ち込めないような心構えでは、どこの職場に変わっても、決していい仕事はできない。これははっきり申しあげることができると思うのです。

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ん~、なんか昨日書いた事を考えると、ちょっと痛いところをつかれたなぁという感じです。

ITのような場合は、技術的な事は自分に興味がないものだったら、なかなか真剣に取り組めません。
例えば、プログラミングに全然興味がないのに、ソフトウエアのディベロッパーとして仕事をやれと言われても、なかなか取り組めないんじゃないかなぁと思います。

プロジェクトマネージャーのような仕事であれば、部署が変わったり、たとえ業界が変わっても応用はきくと思いますが、今の僕のように、ある特殊な技術を学びたい、その方面へ進みたいと思うと、現在やっている事が、なんとなく時間の無駄のような気がしてしまいます。

今の現状に真剣に取り組み、チャンス到来のためにも真剣に取り組む、じゃないとダメかな?
でも、2つの事を両方同じように真剣に取り組めるかなぁ。

利は元にあり

3月8日のお話 「利は元にあり」

昔から「利は元にあり」という言葉があります。これは利益は上手な仕入れから生まれてくるということだと思います。まずよい品を仕入れる。しかもできるだけ有利に適正な値で買う。そこから利益が生まれてくる。それを「利は元にあり」と言ったのでしょうが、実際、仕入れはきわめて大事です。ところが、この「利は元にあり」ということを、ともすれば単に安く買い叩けばよいというように解釈する人があるようです。しかし、決してそうではなく、仕入先を、品物を買って下さるお得意先と同じように大切にしていくことが肝要だと思います。そういう気持がないと、結局は商売は繁昌しないと言えましょう。

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今日のお話とは関係ない話。

何週間か前に、省内で希望の職種の空きがでたので応募してみました。 書類選考は通って、面接の連絡がきたのですが、ポジションはちょっと僕の今のレベルより上と思うので、ダメもとで面接に行って来ました。 先週やっと連絡が来たのですが、残念ながらダメでした。 やはり技術的に経験不足だという事です。

今の部署での仕事は、どちらかと言えばIT関係では比較的新しい部門で、経験しておいて損はなく、それどころか多分数年後には、「いや~、やっといてよかったなぁ、この技術を持っている人は結構少ないからなぁ。」と思うはずなのですが、どうしても僕の希望している技術の方へ進みたいので、引き続きがんばろうかなぁと思っています。

以前にも書きましたが、上から配属部署を言われるのではなく、チャンスがあれば自分で選択する事もできるぶん、幸せかなぁ。

大西郷の遺訓

3月7日のお話 「大西郷の遺訓」

西郷隆盛が次のような遺訓を残している。

「国に功労がある人には禄を与えよ。功労あるからといって地位を与えてはならない。地位を与えるには、おのずと地位を与えるにふさわしい見識がなければならない。功労があるからといって、見織のないものに地位を与えるということは国家崩壊のもととなる」と。

これは国のことであるが、事業経営についても同じことが言える。あの人は会社に大きな功労がある、だから重役にしようとなりがちであるが、この点は充分に注意しなければいけない。あくまでも、功労ある人には賞をもって報い、その見織ある人に地位を与えることが大事だと思う。

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坂本竜馬の小説に書いてあったと思うけど、西郷隆盛が竜馬から虫かごに入ったコオロギをもらった事があって、それも縁側に吊るしたそうです。 そして、翌年だったかに竜馬が行くとまだ虫かごにはコオロギが入っていたそうです。

もちろん同じコオロギではなく、西郷隆盛が新しく捕まえたのでしょうが、その意味が僕はいまだに解りません。 竜馬からもらった事を忘れていませんよ、という意味で吊るしてあるのか、竜馬自身を忘れませんよなのか、せっかくもらったのだから、死んでしまった後には新しいコオロギを入れようと、ただそう思っただけなのか、なんなのかなぁ?

不安に挑む

3月6日のお話 「不安に挑む」

いつの世でも、われわれにとって完全に安穏であるという状態はないといってよい。お互い人間である以上、程度の差こそあれ不安動揺なしにはいられないと思う。それが人間本来の姿である。しかしだからといって、ただ不安動揺し、それにおびえてなすところなくウロウロしているというのでは、そこから何も生まれてこない。

そうではなく、不安は感じるが、しかしその不安に敢然と闘いを挑み、これを打破していく。むずかしい仕事、困難な要求に直面して、一面に不安を感じるが、反面かえって心が躍る。そしていろいろの考えを生みだしこれを克服していく。そういうふうでありたいと思う。

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僕は不安にはなれてないかもしれませんが、トラブルには昔の仕事で結構なれっこになりました。

その時は、某旅行会社で働いていたのですが、お客様の送迎の他にトラブル処理全般という役目も持っていました。 毎朝4時頃からオフィスが開く9時までの間、なにかトラブルがあれば連絡が入ってきます。

トラブルの内容は、お客様が到着しないとか、手配済みの車両が来ないとか、お客様が行方不明、お客様がツアーに乗り遅れる、病気、怪我、忘れ物、寝坊、盗難、まぁいろいろあり、最初はトラブルの連絡が入るたびに、大変だ!とか面倒くさいなぁとか、このお客様は結構怒ってるなぁ、怖いなぁ、なんて思ったりしていました。

それがだんだん慣れてくると、何もトラブルが起こらないと緊張感がなくなってしまい、いつの日からかトラブルが起こるのを待つようになってしまいました。 慣れとは怖いもんですねぇ。

庄屋と狩人ときつね

3月5日のお話 「庄屋と狩人ときつね」

昔のたとえ話に庄屋と狩人ときつねの話がある。狩人は庄屋の前ではかしこまっている。しかし庄屋はきつねにばかされる。きつねには弱い。そしてきつねは鉄砲で撃たれるかもしれないから狩人はこわい。結局この中で誰が偉いとも何ともわからない、という話である。

私は今日でもこの話は生きていると思う。勝負に勝つ人が偉いのでも、負ける人が偉くないのでも何でもない。教育する人が偉いのでもないし、教育を要する人ができが悪いのでもない。それぞれやっぱり一つの生きる姿である。そう考えれば、喜んで人に協力することができるし、また協力を受けて仕事ができるのではないかと思うのである。

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話とは関係ありませんが、先日ある調査結果を読みました。

その結果と言うのは、子どもは1日に平均で、400回スマイルし、150回笑い、4~6時間遊ぶそうです。

大人になるとがくんと数字が落ち、スマイル15回、笑い6回、そして遊びがたったの20分だそうです。

子どもと一緒にいるとわかるのですが、本当によく笑いますね。 その笑いにつられて、こちらも一緒に笑ってしまう時がよくあります。

やっぱり子どもは素直というか、ストレートに気持ちを表すからでしょうか。 大人になるとだんだん素直さがなくなり、そして年寄りになるとただの頑固者になるようです。

子どもと過ごす時間は大人の為にもいいかもしれないなぁ。

自分で人事をする

3月4日のお話 「自分で人事をする」

先日、社内で広告担当員を募集したところ、誰も志願しないというのです。これは意外でした。聞くところによると、そういうことを会社に対して言いにくいのではないかということでした。もしそうだとすると、会社がその人の適性を見つけなければならないということになってきます。が、社員が多くなると、人事部がいかに懸命にやっても、一人ひとりの性格を知って適切な人事をすることは、なかなかできないだろうと思うのです。

だからほんとうは、本人に人事をしてもらうのが一番いいのです。“私にはこういう適性があるのだ”ということを表現してもらうことが一面非常に大事だと思います。

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前にも書いたかもしれませんが、オーストラリアの公務員は、同じ省庁のなかでは結構上のポジション以外は人事移動というものがありません。 どこかの部署に空きがでると、内部のものに対しての人事募集が毎週発表され、そこに希望者は応募します。

応募者は現在の直属上司の推薦状も必要になったりするので、応募した仕事に受かればいいのですが、落ちた場合はなんか変な感じです。 自分はここの部署を辞めたいんですよ、と言っている様で後味が悪くないかなぁと、民間企業なので働いて途中から公務員になった人たちは、そう思ってしまいます。 

でも、高校や大学を卒業して即公務員になった人たちは、この仕組みが当たり前なので、逆に、こっそり他の仕事に応募するほうが変だと思っているようです。

公務員はどこの部署にいても、国家の為に働いているし、皆が平等であるという事らしいのですが、それでもやっと育てて一人前になった部下が、他のポジションに応募したとして、そして落ちたとしてそのまま部下として残ったとしても、なんか上司としては変な気持ちじゃないかなぁと思ってしまいます。

ダム経営

3月3日のお話 「ダム経営」

ダムというのは、あらためて言うまでもなく、河川の水をせきとめ、たくわえることによって、季節や天候に左右されることなく、常に必要な一定量の水を使えるようにするものである。

そのダムのようなものを、経営のあらゆる面に持つことによって、外部の諸情勢の変化があっても大きな影響を受けることなく、常に安定的な発展を遂げていけるようにするのが“ダム経営”の考え方である。設備のダム、資金のダム、人員のダム、在庫のダム、技術のダム、企画や製品開発のダムなど、いろいろな面にダム、言いかえれば、余裕、ゆとりを持った経営をしていくことが肝要であろう。

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ダム経営の逆は、そのまま言葉を反対にして、ムダ経営になるかな?

今日は、日本はひな祭りですね。
オーストラリアは子どもの日やひな祭りはないのですが、娘に日本から送られてきた紙でできたちっちゃなひな壇を飾りました。

最近の日本は、大きなひな壇は売れてるんでしょうかねぇ。

魂のこもった朝礼

3月2日のお話 「魂のこもった朝礼」

朝、仕事をはじめる前に朝礼をする会社や商店が多いようであるが、この朝礼をただ惰性で行なってはいないだろうか。会社や商店が順調にのび、世間の評判もよくなる。銀行も金を貸してくれるし、事業もたやすくできる。そうなってくると、最初全員が真剣であった朝礼も何となく気がゆるみ、形だけに終わってしまいがちである。社長も従業員も一番注意せねばならないのはこうした時期ではないかと私は思っている。

だから、朝礼をするならば魂のこもった朝礼というものを常に心がけねばならない。そうでなければ朝礼を行なう価値がない。形だけなら何にもならないと思うのである。

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昨日は、インターネットが突然つながらなくなりました。

仕事上毎日コンピューターの画面を眺めているので、家ではあまり使わないのですが、それでもネットがつながらないとなんか寂しいものがありました。 手持ち無沙汰というか。。。

友人たちで、ノートブックパソコンが手放せないとか、携帯が手元にないと不安だとか言っているのを聞いて笑っていたけど、なんか僕もその仲間入りをしたようです(笑)。

今日は仕事場から更新しているのでいいのですが、家に帰ったら早く直さなくては。。。

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