毎日一話

宇宙は僕の為にまわっている - そしてあなたはそれを手伝っている - 宇宙はあなたの為にもまわっている - そして僕はそれを手伝っている     Go with the flow.......

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プロフィール

川田 倫久

Author:川田 倫久
オーストラリアに永住し、ずっと観光業をしていたが、中年のオッサンになってから、IT関係に転職。





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8月31日 辛抱が感謝になる

「辛抱が感謝になる」

われわれが一生懸命に仕事をしても、世間がそれを認めてくれなかったら、非常に悲しい。そんなとき、その悲しさが不平となり出てくるのも、一面ムリのないことだと思う。しかし“認めてくれないのは世間の人が悪い”という解釈もできるが、“まあちょっと辛抱しよう。今は認めてくれなくても、いつかは認めてくれるだろう”と、じっと堪え忍び、いい姿を続けていくというのも一つの方法である。そして認めてもらったら、これは非常に嬉しい。その嬉しさが感謝になる。“より多くわれわれを認めてくれた社会に対して働かなくてはいけない”という感謝の心になってくる。そういう心がなければいけないと思う。

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外国では、「認めてくれるまで耐え忍ぶ」 人は少なそうな気がします。 反対に、俺はこれだけやったんだ!と主張する人が多いような気がします。 しかも、大した事やってない事が多いのですが。

そういう人は、いつかコケるんじゃないかな? と思ってみていますが、全然大丈夫そうですね。 世の中どうなっているんでしょうか。

耐え忍んでいる人達も、誰かが早く気づいてあげて欲しいですね。

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8月30日 日ごろの訓練

「日ごろの訓練」

お互いが仲良く生活し、また仕事を円滑に進めてゆくためには、人の応対一つにしても、充分に注意しなければならない。そして単に礼儀が正しいとか、言葉づかいに気をつけるということだけでなく、いわば心のこもった応対ぶりを見せることが大切ではないかと思う。もちろんこれは口で言うほど簡単なものではない。日ごろからそういう訓練がなされていなければ、たとえ頭でわかっていても、実際に容易にできることではない。

いつの場合にも自然に行動に表われてくるというためには、やはり事あるたびに躾け、習慣づけておかなければなかなか養われるものではないと思うのである。

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娘はオーストラリアで生まれたので、もちろん英語が堪能です。 数年前から僕の英語を直し始めました。 母親は、「いちいちダティーの英語直さなくてもいいよ」 と言ったのですが、まぁ、僕は勉強になるから良いかなと思って、「どんどん直してよ」 と言いました。

でも、しばらくしたら、娘の友達の親の英語まで直し始めました。 家の中の習慣をそのまま外に持って行ってもらっては、ちょっとこまりますね。 今は、僕の英語しか直しませんが、携帯でメッセージを送っても、いちいち間違いの指定をしてくるので、ちょっと困ります。

8月29日 会社の実力を知る

「会社の実力を知る」

私は今までに銀行にお金を借りに行って、断わられたことはありません。これは決して誇張でも自慢でもありませんが、計画を立て「これだけお金が要りますから貸してください」と申し出て、「これは松下さんいけません」と言われたことがないのです。

それはやはり、自分の会社の力というか、そういうものを正しく認識して、その範囲の中で銀行にお願いしていたからでしょう。ですから銀行の方もこれなら大丈夫だと信用して応じてくれたのだと思います。

大事なことはみずからの会社の実力を正当に認識し、それに応じて事をなしていくことだと思うのです。

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「汝自身を知れ」 ですね。

人は自分の実力や得意なものを知っていると思っていても、実は間違っていることが多いそうです。 さらに不得意な事でも、間違って思い込んでいる事があるそうです。

8月28日 力を合わせて

「力を合わせて」

不況の風が吹き、不景気の波が押し寄せるという情況に世間があるときには、それぞれの会社も何らかの形で、その影響を受けないわけにはいきません。

ただそんなときに一番大切なことは、全員の冷静な判断と力強い協力だと思います。船長が沈着に針路を過たず、船員が冷静に協力を惜しまなければ、その船はどんな嵐にあっても着々と進んでいくでしょう。それを、それぞれが慌てて勝手な判断をし、勝手な振舞をしたならば、それがたとえ善意から出たものであっても、船の前進は望めません。

不況、困難なときこそ、“和親一致の精神”が一番に求められるのです。

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急いでいきたいのなら一人で行け、遠くへ行きたいのなら、一緒に行け。 (アフリカの諺)

8月27日 職責の自覚

「職責の自覚」

お互いに欠点というものはたくさんあり、何もかも満点というわけにはいかない。だから、自分の足りないところは他の人に補ってもらわなければならないが、そのためには自分自身が自分の職責を強く自覚し、その職責に対して懸命に打ち込むという姿勢が大切である。

仕事に熱心であれば、おのずから職責の自覚が高まるし、職責の自覚があれば、人はまた常に熱心である。そうした自覚、そうした熱意は多くの人の感応を呼び、協力も得られやすくなる。

そういうことから、みずからの職責を自覚し、全身全霊を打ち込むという心がけだけは、お互いにおろそかにしたくないと思うのである。

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何をするにしても、清く、正しく、力を尽くすことが、成功への王道なのだ。

「ぼろ服ディック(Ragged Dick)」の要約   「世界の成功哲学50の名著」より

8月26日 矢面に立つ精神

「矢面に立つ精神」

人間が大事に際して、その難局の「矢面に立つ」ということは、人生としてはおそろしいことであり、大変に勇気のいることである。スリルがあるとか、あるいはこれはおもしろいな、という人も、今日の青年の中にはいるかもしれないが、ほんとうに腹を割ったところ、あまり愉快ではないと思う。しかし、こういう場合に敢然として、その矢面に立つことも男子の本懐と喜んで事に当たることも大切である。

そしてそういう人こそ、大事において、うろたえず、ものを決断することのできる人であり、人多くして人なき社会において、ほんとうの人物として立っていくことのできる人であるという思いがする。

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「勝負というものは負けるものではございません。 必ず勝つという見込みがない勝負は、するものではございません」 と、塚原ト伝は足利義輝に言った。
「勝てぬと思うときは逃げるのです。 恥ではありません。 よろしゅうございますか、私は、あなたさまが自らをお守りになる為に剣をお教えしたのでございますぞ」

池波正太郎の 「卜伝最後の旅」 より

やばい!と思った時には、無理せず逃げるのも手だと思います。

8月25日 なすべきことをなす

「なすべきことをなす」

治にいて乱を忘れずということがある。太平のときでも、乱に備えて物心ともの準備を怠ってはならないということで、指導者としてきわめて大切な心がまえである。

とはいえ、人間というものは、とかく周囲の情勢に流されやすい。治にあれば治におぼれ、乱に会えば乱に巻き込まれて自分を見失ってしまいがちである。そういうことなしに、常に信念を持って主体的に生きるためには、やはり心静かに、われ何をなすべきかを考え、そのなすべきことをひたすらなしていくことが大切である。指導者の要諦とは、見方によっては、この“なすべきことをなす”ということに尽きるとも言えよう。

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ナポレオン・ヒルの【携帯版】 思考は現実化する より。

「まず、こぶしを作ってみてほしい。 そのこぶしで何ができるであろうか? そうたいした事はできない。 こぶしを作る前はなんだったであろうか? 答えはかんたんである。 「開いた手」である。 そこで、こぶしを開いて、それで何ができるかを考えてみてほしい。 開いている手は今や素晴らしい道具である。 こぶしではできなかったことが無限といえるほど可能になるのである。 あなたの心もそれと同じである。」

8月24日 我 執

「我 執」

一人ひとりの人が、それぞれに自分の考え、自分の主張を持つということは、民主主義のもとではきわめて大事なことである。が、同時に相手の言い分もよく聞いて、是を是とし、非を非としながら、話し合いのうちに他と調和して事を進めていくということも、民主主義を成り立たせる不可欠の要件であると思う。もしもこの調和の精神が失われ、それぞれの人が自分の主張のみにとらわれたら、そこには個人的我執だけが残って争いが起こり、平和を乱すことになる。

今日のわが国の現状、世界の情勢をみるとき、今少し、話し合いと調和の精神が欲しいと思うのだが、いかがなものであろう。

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オーストラリアでも、もちろんチームワークを大切にしますが、相手の言い分を理解しなくて個人の主張をおもいっきりする人がいます。 外国では、子供を叱りつける時には、「部屋で反省しなさい!」 と部屋に閉じ込めるそうです。 日本では、「出ていきなさい!」 と外に出すそうです。

僕の小さい頃は門限を守らなかった子供が家に入れてもらえず、外で泣いていたりしましたが、外国では、門限を守らなかったら、外に出してもらえず、部屋に閉じ込め自由を奪ってしまうそうです。

この辺も日本と違うなぁと思います。 日本は周りとの調和や仲間意識を重視するからかな、と思います。

8月23日 強い要望があってこそ

「強い要望があってこそ」

あらゆる製品について、それをお買い求めくださるお客さまの立場に立ち、お客さまの番頭になる気持で、性能、品質をためし、再吟味してみる。これは工場側においてそうであると同時に、これを販売する営業部門においても、同様の気持で厳格に調査して、もし一点でも不満足なところがあれば、工場に返品して再検討を求めるということでなければならない。

こうして、販売に当たる者も、生産にたずさわる者も、製品の良化を強く要望し、すべて良品にしなければならないという要望が強まれば強まるほど、工場における良品生産も促進されることになり、さらに信念に満ちた製品が提供されることになるのである。

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オーストラリアの車の工場では、社員たちが雇われている会社の車に乗っている割合が低いそうです。 欧米でもその傾向はあると聞きました。 車に限らず、自社の製品を持たない社員が結構いるような気がします。

この辺が日本と違うところですが、カスタマーサービスにも影響しているように思うなぁ。

8月22日 国民を叱る

「国民を叱る」

私は総理大臣というものは、新しく就任したならまず国民を叱らなければならないと思います。今は国民を叱る人が誰もいません。国民に対してご機嫌をとることはしても、国民を叱ることはありません。だから国民は甘え、他を頼るようになる。それが経済の上にも、政治の上にも行き詰まりが出てきた一つの大きな原因だと思います。かつて、ケネディ大統領が言ったように、日本の総理大臣も「私は総理大臣になりましたが、みなさんは私に求めてはいけません。国に対して求めるよりも、国のために何をなすべきかをお考えいただきたい。そうしないと日本はよくなりません」こういうことを言うべきだと思うのです。

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ケネディ大統領は 「アメリカ国民の諸君! 諸君は今、国家に対して何をしてくれと望むべきではない。諸君が国家に対して何をなしうるかを問うときなのである」 とスピーチしたそうです。

これを今の日本でやるとどうなるかなぁ。

8月21日 カンを養う

「カンを養う」

カンというと、一見非科学的なもののように思われる。しかしカンが働くことはきわめて大事だと思う。指導者は直観的に価値判断のできるカンを養わなくてはいけない。

それでは、そうしたカンはどうしたら持つことができるのか。これはやはり経験を重ね、修練をつむ過程で養われていくものだと思う。昔の剣術の名人は相手の動きをカンで察知し、切っ先三寸で身をかわしたというが、それは、それこそ血のにじむような修行を続けた結果であろう。そのように指導者としても、経験をつむ中で厳しい自己鍛練によって、真実を直観的に見抜く正しいカンというものを養っていかなくてはならない。

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居合道を始めたときに、一緒に杖道も始めました。 杖をぎりぎりのところでかわせるようにならないといけないのですが、やっぱり当たるのが怖いからついつい大きく避けてしまうか、相手がこちらに届くまえに動いてしまいます。 見切るのはなかなか難しい。

8月20日 心を通わす

「心を通わす」

一人ひとりの努力が、部下の人にもまた上長の人にも知られるということは、何にもまして心嬉しいことだと思います。一つの成果をお互いに味わって、ともに喜び合うことができるということは、私は尊い姿だと思うのです。

一つの会社の中でも、北海道にいる人の苦労が九州にいる人に伝わる。九州にいる人の苦労が北海道の人に伝わり、打てば響くような形において、全員が結ばれていくというように、お互いに心と心を通わしているような状態になっていなければならない。そうなれば願い通りの好ましい成果が上がり、社会のためにも大衆のためにもなる働きができるであろうと思うのです。

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打ってもそれに気づかなくて、全然響かない人がいますからねぇ。

自分の周波数が高くなれば、気づきが多くなって、響く事もできて、みんながそうなってくると地球上はどんどん良くなるそうです。 ちょっとどこかの宗教っぽいけど。

8月19日 自由と秩序と繁栄と

「自由と秩序と繁栄と」

自由という姿は、人間の本性に適った好もしい姿で、自由の程度が高ければ高いほど、生活の向上が生み出されると言えましょう。しかし、自由の反面には、必ず秩序がなければならない。秩序のない自由は、単なる放恣にすぎず、社会生活の真の向上は望めないでしょう。

民主主義のもとにあっては、この自由と秩序が必ず求められ、しかも両者が日を追って高まっていくところに、進歩発展というものがあるのだと思います。そして、この自由と秩序と一見相反するような姿は、実は各人の自主性において統一されるもので、自主的な態度こそが、自由を放恣から守り、無秩序を秩序にかえる根本的な力になるのだと思います。

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最近のネット上では、秩序なき自由が多いのでは。

8月18日 人材を引きぬけば……

「人材を引きぬけば……」

職場で、この人はなくてはならない非常に重要な人であり、余人にはかえがたいと思っていた人が、ある事情でその仕事を離れました。そこで当然、戦力のダウンが生ずるであろうと考えていたら、不思議なことにその部なり課の成績が上がったということがあります。

これは、あとを受け継いだ人が大いに力を伸ばし、かえってよい結果を生んでいるということに他なりません。ですから私は、すぐれた人材を他の部門に起用する必要があるというような場合、躊躇せずこれをやるべきだと思うのです。あえてそれを行なうことが往々にして、人材の育成に結びつく場合が少なくないということを体験してきたのです。

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特殊な技術以外は、いなくなる本人が思っているほど、その人がいなくなっても結構問題ないと思います。
もちろん、ちゃんと引継ぎをすればの話ですが。。。

8月17日 街の品位を高める

「街の品位を高める」

自分の店舗は、自分の商売のためのもので あると同時に、街の一部をなすものです。これは、その店舗のあり方が、街の美醜にも大きな影響を与えるということに他なりません。一つの街に好ましい店舗 ばかり並んでいれば、その街は生き生きと活気に満ちたきれいな街になります。街全体に好ましい環境が生まれます。
だから、そうした街を美化するというか、 街の品位を高めるという一段高い見地からも、自分の店舗をきれいにしていくことが大事だと思います。それは「社会の役に立つ」という商売の真の使命に基づ く一つの尊い義務とも言えましょう。またそれは同時に商売の繁栄にも結びつくものだと思うのです。

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オーストラリアでは、個人の家でも地域によっては、改装するときに制限があります。
以前、100年以上前のエドワード調の家を買って、改装したのですが、周りの環境と合わせなくてはならないので、2階建てはダメ、屋根は既定のもの、家の前の通りに面している外側は修復のみ、といろいろ決まりがありました。

これも、どこかの投資家が古い家を壊して、バーンと大きなアパートなどを立てるのを防ぐためのようです。

8月16日 道徳は実利に結びつく

「道徳は実利に結びつく」

社会全体の道徳意識が高まれば、まずお互いの精神生活が豊かになり、少なくとも人に迷惑をかけないようになります。それがさらに進んで互いの立場を尊重し合うようになれば、人間関係もよくなり、日常活動が非常にスムーズにいくようになるでしょう。また自分の仕事に対しても誠心誠意これに当たるという態度が養われれば、仕事も能率的になり、自然により多くのものが生み出されるようになる。

つまり社会生活に物心両面の実利実益が生まれてくると言えるのではないでしょうか。そう考えるならば、私たちが道徳に従ってすべての活動を行なうということは、社会人としての大切な義務だということにもなると思います。

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アミ小さな宇宙人 (徳間文庫) と言う本に、人間の精神状態が高度なレベルなった世界を描いてあって、争い事もなくなり、みんないつでもハッピーで、お金を払わなくても欲しいものはいつでもお店から持って行っても良い世界でした。
これから何百年か経つと、本当にそういう世の中になるのかなぁ。。。 何千年もかかるかも。

8月15日 平和の価値を見直す

「平和の価値を見直す」

最近、平和というものが、何かいわば空気や水のように、ごく当然に存在するものといった感じが強くなってきたのではないだろうか。平和の貴重さ、ありがたさがだんだん忘れられつつあるように感じられる。

これは危険なことだと思う。平和は天然現象ではない。人為というか、人間の自覚と努力によってはじめて実現され、維持されるのである。

だから、この際お互いにもう一度平和の価値というものを見直してみたい。そしてこの価値を知った上で、国民として何をなすべきかを考え合いたい。さもないと、せっかく続いたこの貴重な平和を遠からずして失うことにもなってしまうのではないだろうか。

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ニュースを見ていても、そこらじゅうでテロが起こったり、殺人事件があったりと、あまり明るいニュースはないですね。
最近はニュースを見る気がなくなってきています。

そう言えば、数週間前に日本のニュースを読んでいたら、九重親方がなくなりましたね。
ずいぶん前に、オーストラリアへお相撲さんが海外巡業に来られたときに、ラッキーにも現地手配の一員として働くことが出来ました。 礼儀正しい人だったなぁと言う記憶があります。 それに引き換え、別のある親方は本当にだらしなくて、子供のころのあこがれが一気に吹き飛んだものでした。

しかし、力士のみなさんはよく食べました! レストランへ行っても、一人ずつが大きな5,6皿を平らげてしまい、「じゃー、明日のためにあまり食べられないので、最後はラーメンでしめようかな」 と言っていました。

ある時は、夜中にお腹がすいたから、「餃子、焼きそば、酢豚、チャーシューその他いくつかを20皿ずつテイクアウトして下さい」 と言われたので、中華料理店に電話をしたら、「夜中にふざけたこと言ってるんじゃない! もし本当に欲しいなら金持って来い!」 と怒鳴られたので、お店へ現金を持って行くと、「本当に来たの? でも、うちじゃ、全部すぐ作れないから、隣のお店にも頼んでよ」と言われました。

小錦は食べるところはみませんでしたが、歩くときは、10歩か20歩ほど歩いては、ぜいぜい言いながら息を整えていたように思います。

みなさん、今頃はどうしているでしょうか。

8月14日 電話で仕事をする

「電話で仕事をする」

世間には、それこそ工場のスミズミまで自分でまわって陣頭指揮をしなければ気のすまない経営者も少なくありません。しかし工場まで出向くとなれば時間がかかります。また、せっかく来たのだから、立話ですますわけにもいかないということで、自分の時間も工場の責任者の時間も必要以上に費やすことにもなりがちです。その点、電話を活用すれば、だいたい十分もあれば事が足りるわけで、往復の時間もいらないし、責任者の人の時間もとらずにすみます。

もちろん、自分の目で直接見ることによって、より大きな成果を得られる場合もあるでしょうが、電話で十分事足りるということも案外多いのではないでしょうか。

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メールが普及してきたいまでも、やっぱり電話の方が早く事がすむと思います。
今の職場では、メールじゃ時間がかかるから、もっと迅速なコミュニケーションを取るために、と言う事でメッセンジャーが普及しています。 でも反対に、電話だとみんなに聞こえるからしないような、むだ話が多いような気がします。 仕事の効率は落ちていそうなきがするけど。。。

みんな、普通に電話使った方がはやいと思うけどなぁ。。。

8月13日 投資をしているか

「投資をしているか」

書物によると、太閤秀吉という人は馬の世話をする係になったとき、主人である織田信長が乗る馬を立派にするために自分のわずかな給料をさいて、にんじんを買って食べさせてやったということです。これは一つの誠意ある投資だと思うのです。

そこで、みなさんは投資をしているかということです。そのように、いったんもらった給料を会社へまた献金する必要はありませんが、しかし自分の知恵で投資するか、あるいは時間で投資するか、なんらかの形で投資するという面が自分の成長のためにも必要だと私は思うのです。またそれくらいのことを考えてこそ、一人前の社員と言えるのではないでしょうか。

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仕事先に対しての投資はしてるかなぁ。 ちょっと自身がありません。 仕事には真剣に取り組んでいるので、それでいいのかな。 自己投資は最近は何もしていませんね。 いけない。 このまま成長し続けるために、何か自分に投資しないと。

日経ビジネスの記事を読んでいたら、50オトコは「透明人間」、香山リカ氏が一刀両断、と書いてありました。
現在50代の人は、生まれた時からなにもしなくても日本の経済が発展して来たのを見て育っているので、楽観主義が多いそうです。 今度の都知事選でも50代男性は少なかったそうです。 50代女性は数人いましたが。

50代オトコは、50年の人生経験は長く、培ったものは決して、少なくはないので、下の世代と一緒にやっていく中で、自分の力を下に貸したり、もういっそ力の全てを提供したりするぐらいがいいそうです。 今は人生80年時代と言われているので、まだ30年ぐらいはあるので、相当な決意と、意識の変革は必要だそうです。

やばい! 僕も50代オトコだ! しかも、楽天主義。。。

8月12日 笑顔の景品を

「笑顔の景品を」

最近は、競争がなかなか激しいこともあって、個々のお店なり商店街が、それぞれいろいろと工夫を凝らし、販売を進めています。いわゆる景品つき販売というものもその一つで、少しでも多くのお客さんの関心をひくものをということで、いろいろ知恵をしぼっています。

しかし、お客さんにおつけする景品のうちで、何にもまして重要なものは何かということになったら、私はそれは親切な“笑顔”ではないかと思います。“自分のところは親切な笑顔のサービスに徹しよう”というように、いわば“徳をもって報いる”方策で臨んでこそ、お客さんに心から喜んでいただけるのではないでしょうか。

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これは、昔も今も変わっていなさそうですね。

日本ではマックとポケモンGOのコラボが行われているそうですが、しばらく経ったらどうなるんでしょうか? ポケモンGO はないけど、笑顔やサービスがいいところがあったら、そっちへ行くのかなぁ?

8月11日 小便が赤くなるまで

「小便が赤くなるまで」

「商売は非常にむずかしく厳しい。いわば真剣勝負だ。商売のことをあれこれ思いめぐらして眠れない夜を幾晩も明かす。それほど心労を重ねなければならない。心労のあまりとうとう小便に血が混じって赤くなる。そこまで苦しんではじめてどうすべきかという道が開けてくる。だから一人前の商人になるまでには二度や三度は小便が赤くなる経験をするものだ」 これは私が小僧時代に店のご主人に聞かされた話ですが、今にして思えばこれは決して商人だけにあてはまることではないと思います。何をするにしても、これだけの苦しみを経ずして成功しようとするのは、やはり虫がよすぎるのではないでしょうか。

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血のにじむような努力をしないと、何事も成功しないかもしれませんが、僕は楽天主義なので、小便が赤くなる寸前で成功したいと思います。 考えながらやればできるんではないかと思うけど、やっぱり虫がよすぎるかなぁ。

8月10日 欲望は生命力の発現

「欲望は生命力の発現」

“欲の深い人”というと、ふつうはよくない人の代名詞として使われているようだ。いわゆる欲に目がくらんで人を殺したり金を盗んだりする事件があまりにも多いためであろう。

しかし、人間の欲望というものは、決して悪の根源ではなく、人間の生命力の現われであると思う。たとえて言えば船を動かす蒸気力のようなものであろう。だからこれを悪としてその絶滅をはかろうとすると、船を止めてしまうのと同じく、人間の生命をも断ってしまわねばならぬことになる。つまり欲望それ自体は善でも悪でもなく、生そのものであり、力だといってよい。だからその欲望をいかに善に用いるかということこそ大事だと思う。

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ナポレオン・ヒル博士の「思考は現実化」もそうですが、欲望と言う望みがなければ、思った事は実現しないそうです。
でも、悪い欲望や、「こうなったらいやだなぁ」と思うネガティブな思考も実現するそうなので、気をつけないと。

8月9日 相談調が大事

「相談調が大事」

たとえば、ある一つの仕事をしてもらう場合、単に命令すればそれで事がはこぶ、と考えてはいけない。指示し、命令するだけだと、とかく“命、これに従う”ということになって、ほんとうにいい知恵、力強い姿は生まれてきにくい。

だから、「あんたの意見はどうか、ぼくはこう思うんだがどうか」というように、できるだけ相談的に部下にもちかけることが大事だと思う。そうして部下の考え方なり提案をとり入れつつ仕事を進めていくようにするわけである。そうすると自分の提案が加わっているから、その人は仕事をわが事として熱心に取り組むようになる。人を活かして使う一つのコツは、そういうところにもあると思う。

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子供に物を教える時と似ていますね。

「これは、こうやって、こうして、こうやるんだよ」、と細かく言うより、「これやってみて」 と自分で考えてやらせて、後で助言した方がいいと聞いたことがあります。

前にも書きましたが、宿題でも、「宿題ちゃんとやった?」 と聞くと、逆に意欲がなくなるそうです。 「今日は宿題ある?」 と気軽に聞いた方が、「あ、そうだ、宿題やらなくちゃ」ってなるそうです。

8月8日 素直にありがたさを認める

「素直にありがたさを認める」

今日、みなさんがこの会社に入社することができたのは、一つにはみなさんの努力によるものでしょう。しかし決して自分一人の力でこうなったとうぬぼれてはなりません。会社にしましても、世間からごひいきをいただいているからこそ、今日こうして成り立っているのです。

ですから、個人にしても会社にしても、あるいは国の場合でも、やはり謙虚にものを考え、その物事の成り立っている背景なり人びとの恩恵というものを、正しく認識しなければなりません。そして、協力してくださる相手に対しては素直に喜びと感謝の念を表わし、自分たちもこれに相応した働きをしていくことが大切だと思います。

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僕はオーストラリアに永住して、そろそろ26年経ちます。 15年ほどは日本人がお客様でしたが、10年近く前に職種を変えてからはオーストラリア人のみと仕事をしています。

気づいた事は、人に対して感謝はするけど、人に感謝させる人はあまりいないかなぁ、と言うことです。 なんか自分の利益になることしか考えないような人が多い気がします。 まぁ、今働いているところは、上司によく思われないと海外勤務のチャンスがものすごく減るので、そうなるのかも。 上には良い顔をする人は多いですが、下には態度が悪い人も結構います。 

8月7日 利益が先か地盤が先か

「利益が先か地盤が先か」

先般ある関係会社へ行って、課長以上の人に集まってもらったときに“利益をあげることが先ですか、それとも地盤づくりが先ですか”という質問が出ました。それに対して私は“わが社は五人のときには五人の、十人になれば十人の、さらに千人になれば千人の企業にふさわしい利益を上げてきた。そうしたことの連続が今日の成功になった。もし五人だから、十人だからまだよいだろうと思っていたならば今日の姿はない。だからこの会社も利益を上げつつ地盤をつくっていく以外にないと思う”と答えたのです。私は世の中すべての経営というものは、そういうところにポイントがあるのではないかと思うのです。

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地盤を固めるには、その期間を持ちこたえるだけの蓄えが必要だから、利益がさきかなぁ、とも思いますが、やっぱり同時進行の方がいいかな。

8月6日 自分をほめる心境

「自分をほめる心境」

私はいま、二十代の夏の日のことをなつかしく思い出します。日のあるうちいっぱい仕事をし、晩にはタライに湯を入れて行水をするのです。仕事を終えたあとの行水は非常にさわやかで、“自分ながらきょう一日よく働いたなァ”という満足感を味わったものです。

自分ながらきょうはよくやった、と言って自分をほめる、自分をいたわるという心境、そういうところに私は何だか生き甲斐というものを感じていたように思うのです。

お互い毎日の仕事の中で、自分で自分をほめてあげたいという心境になる日を、一日でも多く持ちたい、そういう日をつみ重ねたいものだと思います。

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最近は平凡な日々が続いていて、「あー、今日もがんばった!」 という事がないかも。 
些細なことでも褒められることを見つけないといけないなぁ。

8月5日 政府を助ける心がまえ

「政府を助ける心がまえ」

政府は、国民の人気を得なければならないから、なかなか国民に対してイヤなことは言いにくい。だから、だれに対しても、助けましょう、助けましょうと言いがちである。

けれども、われわれは政府に頼りすぎてはならない。他をたのまずしてみずからの力で、自分でできる範囲のことを着実にやっていく。そういう気持なり態度というものが最も大切であると思う。

そして、政府に救済してもらうというよりも、むしろわれわれ国民の方から政府を助け、社会の進展に寄与していく。そういう心がまえをお互いに持つことが肝要ではないかと思うのである。

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日本はあるアンケートで 「自活できない人の面倒をみるのは政府の責任である」に、ノーと答えた人が4割近くいるそうです。 米国が3割弱で、その他の国は1割弱が多いそうです。

国民意識調査でも、「政府による貧しい人への援助削減」に賛成する意見の割合は先進国の中でも高い方だそうです。 生活困窮者の原因についての問いでは、「社会が不公平だから」が全体的に多いそうです。

生活困窮者への援助は自分たちの負担になるから、生活困窮者がでないように社会を変えて下さい、と思っている人が多いということですね。

8月4日 もっと厳しく

「もっと厳しく」

昔の武士は朝早くから道場に出て血のにじむような稽古にはげんだという。そして師範や先輩たちの木刀を身にあびながら、何くそと立ち向ううちにおのずと腕も上達していった。また商人であれば、丁稚奉公からつとめはじめ、主人や番頭に横っ面の一つも張られながら、おじぎの仕方からものの言い方まで一つ一つ教えられつつ、商人としてのものの見方、考え方を養っていったわけである。

もちろんそのような修業の過程には、好ましくない面もあったであろう。しかし、少なくともそうした厳しい修業が人を鍛え、その真価を発揮させる上に役立ったと思う。それは今日にも通用することであろう。

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僕も修行の過程にはある程度の体罰はあった方がいいと思うけど、

でも子育てには、
「子供を自立させるためのしつけは、考える力を育てることです。 子供が考え、自分でどうするべきかを決める過程を繰り返すことで、自立していきます。 自分の心と行動をコントロールする術を、子供に教えることです。 暴力は、自分をコントロールする方法を教えません。」 と言うのもありました。
子どもの心のコーチング【しつけ編】 「ほめる」「叱る」よりうまくいく子育ての極意 (PHP文庫 著者: 菅原裕子)

8月3日 強固な精神力を

「強固な精神力を」

その昔、日蓮上人は、ただ一人の聴衆の姿も見えないという時でも巷に立って、わが信念を説いたと言います。何をほざくかと馬糞を投げられ、石を投げられ、さんざんな侮辱を蒙っても、彼はビクともせず、日本の安泰のために、民衆の幸福のために、わが信念を傾けました。日蓮上人のそういう態度と比べてみると、われわれとは同じ人間でありながら、たいへんな相違があるなという感じがします。

いま、われわれに必要なのは、日蓮上人のあの強固な精神力です。日蓮上人とまではいかなくとも、せめて自分の仕事に一つの使命を感じ、これに情熱を傾けて精進する積極的な自主独立の精神を養いたいものです。

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「2008年に書いた僕のコメント」

僕の娘は、500グラムしかない未熟児で生まれたのですが、お医者さんから脳性小児麻痺だと言われたときはちょっとショックでした。
ちょっとショックだったと言うのは、500グラムというだけで、かなりショックで、なにかあってもおかしくないなぁと思っていたからです。
そして、美容治療でよく聞きますが、ボトックス注射を年に2回づつ10歳ぐらいまでうつ必要があることを知らされました。10歳ぐらいになると手術をするそうです。

でも、生まれてすぐに、なんとなく大丈夫だろうなぁ、ちゃんと生きていくだろうなぁと思いながら、毎日マッサージをしてあげていると、両足にギプスをはめていたのですが、今では左足はとれて右足だけになりました。もう左足のボトックス注射は必要なくなりました。

ところが、僕自身のなかで「右足はよくなるかなぁ」と思い始めたころから、なかなかよくならなく、よくならないから余計に「やっぱダメかなぁ」なんて思い始めて、毎日懸命に続けていたマッサージも左足がよくなった頃から、手を抜いていたようです。相変わらずボトックス注射をうっていますが、まぁ成長期もあって、なかなか筋肉が思うように伸びません。

最近はやっと、最初マッサージをしていた頃、なにも考えずただよくなるだろうと思っていた心を思い出し、大丈夫と思い込む気持ちが足りないのかなぁ、なんて考えること自体よくないかなぁと思うようになりました。

もう何も考えずにひたすらマッサージをするようにしています。10歳までには後5年ありますが、まぁ、今まで5年間やりつづけたマッサージをさらに5年やれば、右足もさすがによくなるでしょう。なんて考えてます。

「2016年現在のコメント」

以前のコメントから8年がたち、娘は13歳になりました。 あれから、ボトックス注射も年に1回から2回受けています。 右足の状態はあまり変わらないかなぁと思います。 が、悪くはなっていないので良かったです。

ですが、昨年の終わりごろ、側弯症が発見されました。 気づいたときには時すでに遅しで、手術をするしか方法がありませんでした。 もっと早くに自分たち親がなぜ気が付かなかったか、と悔やみましたが、まぁ、しょうがないです。 

2月の終わりごろに手術をして、中学1年の一学期は全部休んで自宅養生でした。 5月からの2学期は半日だけ通っていましたが、最後のほうには3時まで学校にいるようになれました。

3学期が始まる前の2週間の休みには、モデルとエチケットコースに行き、最後の日はちょっとびっこを引きながら、他の子供たちと一緒にパレードをしていました。

でも、がんばりすぎて、足が痛くなり、3学期の最初2日間は休みました。 笑

足はまだ完全によくはなりませんし、娘もその事については、時々かなり悩んでいるようですが、でも強固な精神力はついてきているように思います。 

まぁ、目標に向かってがんばってもらいたいです。

8月2日 人間は初めから人間である

「人間は初めから人間である」

人間はその歴史において、さまざまな知識を養い、道具をつくり出して生活を向上させてきました。しかし私は、人間の本質そのものは初めから変わっていないと思います。人間はもともと人間であって、人間そのものとして向上してきたと思うのです。私は人間が猿から進歩したというような考え方に対しては、疑問を持っています。猿はやはり最初から猿であり、虎は最初から虎であり、人間は最初から人間であると思うのです。

人間は初めから人間としての素質、性質を与えられ、みずからの努力によって知識を進め、道具をこしらえて、みずからの生活を高めてきた、それが人間の歴史だと思うのです。

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じゃー、アダムとイブ説かな。 それか、イザナギとイザナミが日本列島と一緒に日本人を作ったのかも。


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